``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたもの (2023-07)

読んだもの

青い脂 (河出文庫)
今年の訳解らん枠。読めば読むほど何がなんなのかわからなくなった。これまでの訳解らん枠はピンチョンが筆頭だったのだけどこの本のためにソローキンがトップに出てしまい、世界は広く、わたしはまだまだ何も知らない。「青い脂」というのは読後の所感の事なのかねと思ったけど結局何がなんだかやっぱり解らなかった。

侍女の物語
たしか飲み友達と痛飲した翌朝の帰路の電車の中で突然マッドマックスの話からディストピアの話になり、三大ディストピアのひとつとしてこれがあるんだと紹介された(のこりはオーウェル『一九八四年』とザミャーチン『われら』で、最後のやつは積読の中にある)ので読んだ、というやつだったと思う。
後世から物語の時代を議論する付録があるところを含めて『一九八四年』っぽいのは後発なのを考えればある程度仕方無いのかなと思った。野郎(しかも権力のある野郎だ)の無邪気さんに比べ侍女の無力さはすさまじく、希望も刺激も何もない。そんな
世界で生きてゆけるようには人間は出来ていない。なので地獄に通じているかも知れない選択をするし、わずかな情報や変化にすがる。ここまで書いてこの本を理解できているか不安になった。ウエルベック服従』の女性視点ではないかともちょっと思ったのだが、これは服従の背景を表面しか知らないが為の観点なのであまり適切な感想ではないかもしれない。選択肢は多いに越したことはないと思った。

滅ぼす 下
滅ぼす 上
邦訳待ってました。ありがとうございます。文庫が出るのを待つとかそんなこと全く考えずに買った。
申し訳程度のサスペンスに揺られる世界、いっぽうで死と神(これが「滅ぼす」の主語だと思った)に包み込まれた主人公とその家族の物語で、『セロトニン』を複数人対象にして同時進行したような感じだと思った。今回の主人公は世界に別に絶望しておらず、これまでのウエルベックでよくあった絶望の究極として死に至るというのが今回は無く、まったく普通に病気や事故(
というには悲劇的な感もあるが、病理的な扱いにされているのが目立つ)で死んでゆく。もしかしてウエルベックは健康に問題を抱えはじめているのではとちょっと心配になった。世界への攻撃よりも個人の破滅に重きが置かれ、世界の破滅の話は尻切れトンボになり、個人の破滅が痛みを重ねて描かれ続ける。いままでずっと『セロトニン』がある種の区切りだったと思っていたが、これを読んだ結果そうではないなとわかった。たぶん『服従』が区切りになっているのだと思う。

観たもの

シン・仮面ライダー
殺陣があまりにあんまりで笑ってしまった。キル・ビルを観ている時と同じ笑いが出てしまった。

www.ghibli.jp
Amazon で引っ掛かるのは全く小説のほうのみだった。本当に情報が出てないんだな。劇場で観てきた。
宮崎駿の思い出集大成だと思った。風立ちぬ以降氏はずっと自分に課してきた少年少女向けの物語という方針を捨ててしまったのだろうか。もっと前から(もののけ姫あたりから?)怪しいか。冒頭の火災(観ていたときは空襲かと思ったが本土空襲が始まる前の時期なのとサイレンや鐘の打ち方が空襲警報のそれではないので火災だと思う。後者のソースは『東京都戦災誌』)の描写から主人公ひいては宮崎少年は火にトラウマがあるのではと思った。霊魂みたいなやつが転生するときに巨大な魚みたいなやつの臓腑を食う必要があるというのは何かモチーフがありそうだ。素晴らしき新世界を拒絶して今ある世界を肯定して生きるというのはナウシカ、しかも漫画版のほうのナウシカのラストと同じで、三十年以上のものあいだずっと世界を肯定したかった、しかも絶望しつつも肯定したかったのかもしれないと思い、なんだかほろりとしてしまった。同じテーマを色々な物語で描き続けているということはしかし肯定しきれていないということで、ここまでは出来たがここから先は……という、そこに到達できるかどうか。
安吾や由紀夫などの戦争に強姦(あえてどぎつく書きます)された人間は戦争以上にメチャメチャなものを描けないように思っていて、もしかしたら宮崎駿もここに入ってしまうのかもしれない。こう描くのは非常につらいのだが……と、モデルグラフィックス誌上の氏の漫画風の感想を抱いた。