``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだもの (2023-01)

ほかの月の記事に比べて文章がミッチリしているのは正月休みがあった為で、労働は文章を書くという基本的な表現技能すらも奪い取ってゆくのである。その証拠に正月休みの間に読んだ前半3冊以外はいつもの調子になっている。

すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版
去年末くらいから読んでた。2,000 ページくらいあったがスンナリ読めた。
俺が今書いているのはこんな感じのやつだみたいな文章を読み、なるほどあの作品を書いている時期なんだな、と思ったのがだいたい当たっていて、これでも村上龍をけっこう読んできたんだなあと感慨深くなった。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件のころからか、文章の一人称が「オレ」から「わたし」に変わっていて、そのくらいから誤解や勘違いを避けるエクスキューズが増えているのが、なんというか世相のような感じがして悲しかった。
コミットメントと期待とは全く異なり、なぜか目標という文脈で両者が混同されてしまう、といった事柄がスッと言葉にされていて、読んでて安心した。

69 Sixty Nine (村上龍電子本製作所)
読んだのは文春文庫の紙のやつ。自薦の通り面白い小説だった。
傍から(あるいは大人から)みれば反抗であり通過儀礼にしか見えないかもしれない。当人にしてみれば闘争であり、獲得の為の campaign*1 であったのだろう。
最後の章のエンドロールみたいな後日談がとても好きで、まずいコーヒーをふるまうひどい男になった彼はもう大人になったのだ。当時軽蔑していた「大人」ではないのだろうが、太宰の『津軽』で明日も遊ぼうよと言えなくなってしまった蟹田の N 氏と津島修治とのような「大人」にはなったのだ。

ワーニャ伯父さん/三人姉妹 (光文社古典新訳文庫)
読んだり観たりしたもの (2022-11) - ``一意な文字列'' の以下:

ラストの手話劇の強烈な打撃力のせいで思わず光文社文庫の『ワーニャ伯父さん』を買ってしまった。

もうこれは経済とセックスの話題がないウエルベックで、つまりウエルベックチェーホフをよく読んでいるのだと思った。
宮崎駿がときどき言っている「生きよ」「生きねば」はこれまでずっと冗談かなにかだと考えていたのだが、これを読んですこし捉え方が変わり、ちょっとだけ言わんとしていることが解った気がする。
解説がとても秀逸で、自死による終末がなく現在を維持させるを得なくなるのが中年文学である、とあり、ガーンとやられてしまった。生きることのおぞましさよ。スッパリ終わらないが為にその後の苦しみや悲しみに思いをめぐらせてしまう。

桜の園/プロポーズ/熊 (光文社古典新訳文庫)
『斜陽』が大好きなので課題図書ではあった。斜陽がここから引いた要素は西片町から伊豆に移る経緯くらいしか無いように思った。桜の園では人知れず旧世界に残される人物が生じることになったが、斜陽では全員が旧世界から多様な手段で脱出した。ギロチンとコンチワアがそうさせたのだ。ところでこれは何に対しての感想文だったっけ。
桜の園そのものよりも併録の『熊』のほうがドタバタしてて好き。

麻薬書簡 再現版 (河出文庫)
きちんと目的を達成できたようでよかったね。

清兵衛と瓢箪・小僧の神様 (集英社文庫)
特に得るものはなかった。ただしこれは志賀直哉がダメというわけではなく、そしてたぶん合わなかったという訳でもなく、普段読んでいる小説がこの時代の文学よりも進歩した為であると思う。文学の成長の糧になってくれて有り難うという気持ちになった。すごく怒られそうな文章を書いている自覚はある。

定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)
『すべての男は消耗品である。』由来。面白かった。士族が徳川家というイデオローグを失った代わりにキリストというイデオローグを代わりに求めたのだ的な断章でたまらない気持ちになった。
本邦における近代文学みたいなやつが制度と政権に因るものが発展において大きなものを占めるというのは今まで露知らず、これを読んだ後で今日たまたま以下を読み、ハナシってやつは繋がるもんだと不思議な気持ちになった:
shinsho-plus.shueisha.co.jp
ちなみに上記記事で言及されている映画はなんだかヤバい臭いがしており、ヤバいというのは琴線をブッ千切って刺さって抜けなくなるという意味で、観たいが観るのを躊躇している。そしてまた何に対しての感想を書いているのか判らなくなるのであった。

*1:競争、運動、活動、ぜんぶどれもしっくり来ず、横文字でごまかした。戦争ではなく戦闘でもなく、戦役っぽいが「戦」の字を当てるほど血生臭くない。だいぶ乖離していることを自覚しつつ、『日本のいちばん長い日』の反乱将校たちの「夏の夜の夢」みたいな印象を込めている