読んだもの
先生とうとう行きつくところまで行ってしまったか。ウエルベック第一部完、という感じをうけた。今までの物語で提示してきた救済や指針はここでは一切なく、とうとう「絶望」それ自体に足を踏み入れてしまった。過去の作品において救済が失われた人々は割合手早く自殺を選んだが、この物語の主人公は自分を見つめ切って、ある種の清算をし切ってから自殺を選んだ。思想の清算が主人公の清算として現れたのだろうか。極上の陰惨だった。『セロトニン』の文庫化をずっと待ってたのについ手が滑って既刊の単行本を買ってしまった
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年6月8日
とても面白かった。罪に対して罰をなすのではなく、罰することで罪を解決する、という視点は新鮮だった。責任を負う主体や自由意志というものは虚構で、ゆえに「責任」とはサンクションに足り得ず、罰の象徴たる生贄として存在する。『統治と功利』を読んでいたときにも思ったが、論理や背景知識についてゆけない面は多々あれど、このあたりのジャンル(法哲学になるのか?)は考察の内容がとても興味深い。不勉強なため肉付けの検証が自力ではできないのがとても悲しい。
反出生主義の解説から反論そして今後の理論の発展や展望などを扱うとても面白い本。新しい分野の開拓という雰囲気がそこかしこに感じられ、読んでてワクワクした。印度哲学がとてもプラグマティックで興味深いものがあった。反出生主義のブームはよくわからないが、単なる絶望のミームとしてそれを捉えるよりは、如何様にして肯定 / 否定ができるか、何を見出し、どう考えてゆくかといった方向に舵をきってゆけるとよいなと思った。
中身のない絶望は救われず、なにより面白くないのだということがここまで歳をくうことでようやくわかってきた感じがある。しかし救われず面白くないと言われたところで絶望の当事者としてはそんなこと知ったこっちゃなく、絶望でしかない。もはやこの本の感想でもなんでもないが、そこへの答案は『斜陽』があると私的には思っている。
『責任という虚構』で参照されていたので。そこかしこのキーワードが古く時代を感じさせるが、内容はまったく古びていない。この本じたいの権威性を受け入れてしまいたくなるが、それはこの本の目指すべきところではなく、難しい。
観たもの
ヒスった人間はこわい。「ヤクザの本質は暴力」云々というウシジマくんの一節を思い起こさせる映画だった。
なんとも微妙だったが観た人間のほうに問題がある。ゲイリー・オールドマンが老けていて衝撃を受けた。『レオン』の怪演のイメージしかなかったが、時期を考えれば老化するよな……。
これもしかしたら過去に観て書いたかも。覚えてない。検索性の悪いこのブログである。でも書く。アイデア勝負で面白いなあと思った。
家族と和解する道を選んだ『グラン・トリノ』といった感じ。北野武でいう『ソナチネ』がクリント・イーストウッドでいう『グラン・トリノ』だったのだろう。
よかった。ぜんぶうまくいった『カンティード』っぽい。