``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたもの (2025-06)

読んだもの

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

『プラットフォーム』で主人公が自分や周囲の人物には世代や産業の再生産が不可能だと悟る場面で手元にあった文庫本がミラン・クンデラで、たぶんこれだったんじゃないかと思って読んだ。かなり好き。ウエルベックはフランスにおけるミラン・クンデラだった(こう書くとミラン・クンデラ自体フランスで暮らしているのでややこしくなるのだが)。
この人は犬を安楽死させることが出来たが、ウエルベックは犬をトラックに轢き殺させたり弓で射殺させたりする。犬と人間との関係性の見出し方は両者ともに似ているのに、生命の扱い方に差が出る。面白い。

ルトワックの“クーデター入門"

三島事件が一部の官僚によるクーデターの失敗事案として挙げられていて、一部の官僚によるクーデターねえ、ウフフ。

観たもの

獄門島

『トリック』の椎名桔平回のオマージュがオマージュとしてかなり元気いっぱいだったことが判って良かった。

用心棒

情勢がヤバくなってきたら素早く逃げてしまうサムライが好き。こうでありたい。

椿三十郎

仲代達矢の眼光がすごい。

連合艦隊

静かな時代の鴨川が映っていて良かった。

隠し砦の三悪人

お姫様の眼光がすごい。

影武者

面白かったはずなのだが、何故か感想が無い。

乱

今月観た中では一番好き。二度の攻城戦のシーンで持ってゆかれた。重厚な音楽のみが流れ只々者共が蹂躙されてゆく光景の恐しさよ。

どですかでん

なんだか幻想の中で発狂している人々ばかりが出て来、とても痛々しい。しかし傷として残ってしまう映画ではあり、今でも時々ふと思い返してしまう。不愉快な情景は傷となって俺はその傷を延々なぞるが、これは『トカトントン』と同じ扱いなのだとしばらく経ってから気付いたのだった。

読んだり観たりしたやつ (2025-05)

読んだやつ

コンサルタントの秘密 技術アドバイスの人間学
『翻訳者の全技術』由来。
およそ頭脳労働(これをこの本ではざっくり「コンサルタント」と言っている)をうまくやってゆく為に有益なアイデア集だと思った。別にフリーランスのコンサル屋さんでなくともかなり良い洞察が得られる。
山形浩生が読めというだけはある。

何もしない (ハヤカワ文庫NF)
考え方や認識の仕方のひとつの指針、それくらい。
本文中で筆者も言っていたが、注意経済から目を一寸離し花鳥風月に目を向けてみるというのは貴族的な(エスタブリッシュメント的な?)立場を必要とすることもあり、貴族が貴族の振舞を出来るのは生活にあくせくしなくてよいからだ。ここに対しての回答はこの本では与えられていない。
もちろん貴族的な生活は貴族的な振舞いが出来るからだで終わってしまってはそれこそ一巻の終わりで、注意経済以外のところにも面白いコンテンツ(この「コンテンツ」こそが注意経済が人々に注意を向けさせるもののひとつ)は有り、コンテンツがコンテンツ以上のものになると機能主義を突き抜けた捉え方が出来るようになる、それは面白いという側面を越えたものになれる。
ところでわたしは普段の生活の中でなんだかんだサギやウを間近に見るが、サギやウみたいなデカい鳥が羽を近くでバタバタやるのはめっちゃ怖い。著者のような態度をとれるようになるにはまだ遠い。

書記バートルビー/漂流船 (光文社古典新訳文庫)
『何もしない』由来。解説まで読んでハアそういう背景を踏まえて読まにゃいかんのですなという気分になった。解説を読むまでは『書記バートルビー』はカフカ的なやつ、『漂流船』はメルヴィル君のフネ好きの面が出たサスペンス的なやつ、という感想だった。

観たやつ

赤い闇 スターリンの冷たい大地で(字幕版)
ホロドモールの描写がかなり良かった。詩が説明を肩代りし、惨事に肉付けをしていた。オーウェルが空虚な事ばかり言う役になっていたのも結構面白かった。

ダンケルク(字幕版)
空戦描写がキモいカメラアングルで、シン・ゴジラを観ているかのような気分になった。ガンカメラの映像というのはこういう視点なのかもしれない。登場人物がほぼ匿名なのはバタバタ人々が死んでゆく様や無名の個人の努力によって救われる生命という光景を描きたかった為なのだろう。

ミッドサマー(字幕版)
一点透視でカメラが固定されると怖い。明るいシャイニングみたいな映像がずっと続いていて、ずっと胃がキリキリし心臓も痛み続け、心底嫌だった。行方不明者が出始めてからずっと肉料理が続いていたのは人肉食の暗示かと思ったのだが、そういうわけではなさそうか。コミュニティの維持が目的になると狂気を孕みやすいのかな。流動性というのは大事だな。

酔いどれ天使
頑固者で一本気な為に本来の才を活かせない境遇に酒を呷りまくるしかなくなった医者が「酔いどれ天使」なわけだが、この酔いどれ先生よりは三船敏郎の酔いどれ具合のほうが真に迫っている感じがした。爆酔している時のわたしもあんな感じの振舞いをしていたらどうしようと憂鬱になる。
敗戦後の焼け跡の風景に秩序の描写があっても米軍の描写が無いのはなんだか不思議な感じだが、時代がそうさせていたのかもしれない。無為な死とは無縁の若者が希望とともに去ってゆくという描写は好き。

読んだり観たりしたやつ (2025-04)

今月はもう増えなさそうなので書く。先月は読み終えた / 観終えたものが皆無だったので書かなかった。

読んだやつ

野生の棕櫚 (中公文庫)
ダラダラと読んでいたせいか物語がよくわからなくなってしまった。ふたつの物語が並走してひとつの主題のようになっている、ポリフォニックというやつだろうか。

ライト、ついてますか 問題発見の人間学
その問題は「誰にとって」「何が」問題なのか、そもそも問題なのか、そういった観点を植え付けてくれる本。題材には時代を感じさせるがそんなことは瑣末な話だ。

翻訳者の全技術 (星海社 e-SHINSHO)
二流を自称している著者だが、この人の基準や能力や経験や知識は高水準なので、二流の水準も高い。専門家を一流とした場合の二流ということだ。それでもオロオロしたり挫折したり遠回りする。手を動かして様々な事に興味を向けてみる。深刻にならない。中身をみたら大したことでなかったりもする。積読は読め。良い方法論、というほど大袈裟ではないか、良いエッセーだった。

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)
理論の積み上げというよりは構造をもとに題材を分析した論考というかんじか。「幻想」が個人や周囲や集団にどのように作用するかを緻密に論じたというのはよいが、これが戦後社会がどうとか全共闘やら新左翼の闘争やらにどう繋がるのかがチンプンカンプンだった。幻想という道具のお膳立てを活用した分析なのだろうか。

観たやつ

シビル・ウォー アメリカ最後の日
虐殺をやらかしている赤いサングラスの兵士に『レオン』のスタンスフィールド感をおぼえて興味をもったのだが、そこまでではなかった。狂人の迫力というよりは虐殺の現場とそこにある恐怖とでヒリつかせているのみで、つまり普通だった。戦争映画として観てしまうと普通の映画だなと思ってしまう。現代のアメリカが戦場になって合衆国から離反した「連合国」が合衆国を倒してしまったという物語は面白い。

兵隊やくざ
楽しい映画だった。単純明快で痛烈なアナキズムがあった。任侠映画でもあった。北野武深作欣二の映画ばかり観ているせいでエッこれがやくざ?と思わないでもなかった。「任侠」の場合はそういうものなのだろう。権威主義のマッチョを厭世主義のインテリがやっつける(仕返しに遭ってしまうのだが)くだりは結構よかった。

サタデー・ナイト・フィーバ (字幕版)
かなり良かった。「熱」が冷めてゆく映画だった。浮かれていたり水物の華やかさだったりは容赦なく潰され、評価されていたものは裏目に出、地に足のついた生活をするという地味な要素だけが残っていった。アメリカンニューシネマかと思った。
パルプ・フィクション』が大好きなのでジョン・トラボルタのダンスシーンを求めて観たのだが、湿った土地を靴を濡らしながら歩かざるを得ないみたいな物語本体のほうに視点を持ってゆかれてしまい、ダンスがよくわからなくなってしまった。

読んだり観たりしたやつ (2025-02)

読んだやつ

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
第三部あたりからいきなり面白く感じ始めた。やはり破局とそれに伴う壊滅の物語は楽しい。第二部までは理想を現実のものにしようと果たせぬ努力を尽くし田舎の俗物共にウンザリさせられるような、所謂積み上げの展開で、これが私には長かった。
解説を読むにフローベールの技法による心理描写が第二部までに既に出ているらしいが、読み手の力量不足で全く読み取れなかった。物語からはスペクタクルしか読み取れない。

湿地帯 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション ロ 11-1 ) (二見文庫 ロ 11-1 ザ・ミステリ・コレクション)
『うんこの博物学』由来。ずっとシモの話が続き、まったくどういう顔をして読めばよいのかわからない。特に衛生的な側面では(理屈は解るという場面は有るにせよ)最後までわかりかねた。両親の関係と神への視点と性愛への連絡みたいなところで少々『ニンフォマニアック』と同じような印象をおぼえた。解説がけっこう良く中身の説明をしてくれていて有り難い。物語上の妙がある物語というよりは観点や価値観に衝撃を与える類の物語で、この揺さぶりが面白い、そんな小説。

悲しみよ こんにちは(新潮文庫)
泥酔して襲撃した友人宅の本棚から強奪してきたやつ。返さないと。そして読んだやつと表紙が違う。
狡猾な「捕食動物」を手懐けようとしたら喰い殺されたというオハナシを捕食動物側の目線で展開したようなもの。ただ捕食動物が今回殺したのは実は同輩だったと後から気付いてしまい、けれどもわたしも生きないといけないし、いろいろと薄まってゆく。
こねるだけの粘土でしかないが型を拒絶する粘土であると自身を形容する独白が印象に残った。

すべての見えない光 (ハヤカワepi文庫)
たぶん飲み友達とナチスドイツの話をしてたときに薦められたような、そうでもないような。
物語後半でドイツ側の主人公周辺の女性陣が WWII 最期のベルリンに飛ばされた時点でこの本は軽い読み物ではなくなってしまった。今思うと何らかの供物的な描写だったかもしれない。そしてベルリンの描写自体は薄い。このへんは本筋ではないのでまあいい。ほかにも考証にはてなと思う箇所がいくつかある*1*2が、キビキビ進む物語で読んでて面白い。脱出や逃避や転戦の末に同じ舞台に役者が揃い、そして皆さん退場したり地獄をみたり辛酸を嘗めたりする。痛みながら戦後を生きてゆく。読み終えたあと実にしんみりとした気分になった。手元にドビュッシーの音源があったらよかったのになと思った。



モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
坂口安吾の『教祖の文学』がけっこう好きで、いつか小林秀雄を読んでみたいと思っていた。
教祖〜で安吾小林秀雄が歴史の蓄積からくるものしか見なくなったらしいことを批判していた。この選集の中にある西行や実朝に関しての評論はそうかもしれないが、作品とそこに込められた思想「だけ」を扱っていたか、そうではないと思う。教祖〜が書かれた時期と照らしていないので詳しいことは言えないが、そういう批判に対しての回答が表題の『モオツァルト』だったりするのかしらん。モーツァルトの境遇や作品に乗じて小林秀雄自身の思想や思考もつらつらと述べられていて、この作品については小説のような趣きがあり、読んでいて面白かった。もっともつらつら書くみたいなものが安吾の言う「人間の実相」みたいな意味で槍玉に上がっていたのかもしれないなとも思う。
読んだ中では『骨董』と『真贋』が好き。骨董も歴史の蓄積ではあるかもしれないが、文学は時代から切り離される場合が有りつつも人間の生活の実用に存在する上では生きている骨董というものは「人間の実相」に近いんじゃないかな、よって骨董趣味は別に否定されるものでもないのではと感じた。……が別に文学だって時代から切り離されず人間の生活の実用に今も堪え続けるものはあるわけで(方丈記とかそうだと思う)、骨董の弁解にはならんな。

観たやつ

アメリカン・サイコ (字幕版)
『普通の奴らは皆殺し』由来。観た直後のメモには「ハイソな人類補完計画」とか書いてあるのだが、さすがにこれは違うだろう。ハイソサエティであれば誰が誰であろうとどうでもいい、気にしてない、これくらいの印象。たしかに『ファイト・クラブ』と関連付けられて評価されるだろうな。ただしこちらは匿名性というか個人の埋没によって個人が空虚さに狂ってゆくほうを描いている。ファイト・クラブにある集団側の狂気(というほど発狂していない感じはするのだが)とは趣きが異なる。

Broken Rage
北野武名義ではなくビートたけし名義だったので、つまりそういうことだった。北野武名義の映画と勘違いしてずっと観てしまい、これコントじゃねえか、どうしたんだと思っていたら、コントだった。皆さん笑いながらコントを演じておられ、こっちをやりたいが為の前フリだったんだろうな。

ニューヨーク1997
MGS2 のイメージソースということでずっと観たかった。観た。MGS2 のほうが物語としても好き。
主人公がほぼ唐突に(と思うのだが段階が実は有ったのだろうか? 煙草をねだられるところが前フリだったりする?)仇役の伴侶を好きになっていて、権威批判の裏付け(結末に至るまでに散っていった連中への感謝はどうしたよ的なシーン。もっとも主人公の境遇すべてを引っ括めての裏打ちかもしれない)が薄いように感じた。このあたりを踏まえると地獄のようなニューヨークに君臨するボスの描写がとても好き。ほんとうの意味の自由だと思う。いい感じのリズムを奏でる曲と共にマッドマックス的な飾り付けのなされたキャデラック(じゃないかもしれない。アメ車よく知らない)がスルスル出てくるシーンが妙に印象に残っていて、今でも時々思い出す。

*1:「上級曹長」という階級はドイツ国防軍には無いと思う。階級章の説明を読むと曹長が対応するっぽいが、この階級章の扱いも国防軍の制服と考えると不合理な感じで、武装 SS が戦争後半に使っていた迷彩柄の戦闘服で迷彩を迷彩として使うための記章と思しき内容になっている。しかし当該人物は文脈からいうと国防軍所属だと思われ、仮に SS だとしても戦闘要員ではないはず、つまり迷彩服は支給されていないのではなかろうか

*2:兵科色と兵科の対応もなんだか奇妙。しかしこれは主人公が自分の境遇を如何にわかってないかの説明として効果的か

読んだり観たりしたもの (2025-01)

読んだもの

星の王子さま (角川文庫)
子供の正直な世界が地獄を内包するのと同様に大人も地獄をみている。しかし大人を大人としてカリカチュアに描きすぎているのではと思わなくもない。子供のころにこういった物語を読んでも特に何も思わなかったのではないかと感じ、そういう意味では今この時分に読めてよかった。

コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版
面白かった。モノの世界を隔てていたコストがハコを主体としたシステムで圧縮され、この圧縮度合いにはスケールメリットがあるので巨大資本がだいたいシステムを握っちゃった。いっぽうでモノの世界が縮んだことで「グローバル」な物流や商流も形跡できた。効率化の影には「仕事」の労働化ひいては最適化が進む側面もあるわけで、システムというのは最大多数の最大幸福というところに落ち着くのかもしれない。
ところでモノのロジスティクスとしてのコンテナというやつのイノベーションの流れ(規格化、スケールメリットの拡大、巨大資本による掌握と効率化)というのはコンピュータ業界の OCI コンテナも同じように韻を踏んでいるようでそういった意味での面白さもあった。

青春えれじい 解放区篇
『水曜日は働かない』由来。これも中々面白かった。しかし雇用の流動性の低い環境は居たくないなとは思ってしまった。「共同幻想」の強い環境には居たくない、とも言えるか。最後の章で主人公の名を借りたと思しき著者の総括をせんが為の物語的な積み上げなのだったのではなかろうか。曰く、闘争を続ける中でも時代は移り文化も進みテクノロジーも変わる。労働に闘争が有り得た(と書くのが間違いならば手段として有効だったと言ってもよい)時代の鎮魂の物語だと思った。『安田講堂1968-1969』と同じような読後感だった。

ヤンキーと地元 ――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち (ちくま文庫)
パシリについての理論化と役割の分析を試みた大変有意義な一冊。という一文では無味乾燥なのだが。読んでていろいろと苦痛ではあった。身につまされる視点やらがあった為だ。

シミュラークルとシミュレーション (叢書・ウニベルシタス 136)
読んだなあ、という感想しかない。現実の模倣(シミュラークル)と演習(シミュレーション)が現実を超越(ハイパーリアル)した空間情報量をもつようになり、現実は意味を情報量の尺度として備えていたがハイパーリアルは意味を吹き飛ばしてエントロピー的な効能だけの情報量になっちゃった、とかそんな感じか? ホントに?

33年後のなんとなく、クリスタル (河出文庫 た 8-9)
もうクリスタルとか言ってられない状況になってしまったね。
もとクリは註が本文の対訳のような効果を果たしていたように思うのだが(見開きもそういう意図だと思っていたが利便性の意味合いしかなった様子)、いまクリでは註は註以上の役目を果たせなかったようで。註というよりは筆者のポートフォリオのようになっていたように思う。
閉塞感の中を絶望せずにやるべきことをやっていきましょうよ、こういった態度は好きだ。態度自体は好きだが、実際にそれを要求されてしまうと私は駄目だ。

うんこの博物学: 糞尿から見る人類の文化と歴史
最高。半年位積んでいたのだが、もっと早く読んでおくべきだった。終始笑いながら読んでいた。ほとんどデカダンニヒリズムな調子なのに神秘的だったり破壊的だったりな内容を行ったり来たり。扱う範囲も縦横無尽。「博物学」の名前に負けていない。

普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究
読んでて落ち込んできた。ムチャクチャだ。かつての 2ch も実際はこういった感じだったんだろうか。時代がそうさせたのか?

2025-02-04 追記

読んでいたときの覚え書きが別途あった。すこしいじって加筆:
尖ったもの勝ちみたいな世界観がインターネットに留まらずリアルにも及んでいて、まあインターネットはリアルだもんな、もはや。言動と行動とがフィードバックループを成してどんどん先鋭化してゆくのは政争の歴史の韻を踏んでいるようにも思う。本文中にもあったが、先鋭化してゆく中で理論の構築がなされず先鋭化の過程でポンポン出てきた象徴が先鋭化を更にもたらすといった構図で、醜さのようなものの要因がここにもあると思う。2ch でもそうだったのだろうかと思ったがよく考えると旧き 2ch の文化でも実力行使(= 今の文脈でいう先鋭化)の側面もあればクソスレの塊みたいな文化もあり、chan 文化や Tumblr も色々な側面があるようには思う。それら全体を文化史的に扱ったり、ましてやそれら全体をひっくるめて何らかの結論を出したりするのが本書の主題ではないのはその通りで、先鋭化し醜く残酷になりリアルになってゆく当該文化の側面を活写したのが本書ということになるだろう。

観たやつ

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン (字幕版)
淋しさは力を産むこともあり、力を実現する為に採った手段は嘘だった。嘘により作られた世界は嘘を維持しないと崩壊してしまう。嘘を維持するために身に付けた本物の技術が現実を豊かにしてくれてよかったね。

ニンフォマニアック Vol. 1【ディレクターズ・カット完全版】

2025-02-04 追記

Vol.1 まで観たときの覚え書きが別にあった。すこしいじって加筆:

中々面白かった。註釈を加えてくる老人が良い角度からの差し込みをしてくる。笑ってしまう。バッハとポリフォニーとフィボナッチ数でオタク語りをしてくるので毎度そこで笑ってしまう。説明的な場面の描写にもキレの良さを感じた。しかし長い、これだけは苦痛だった。


ニンフォマニアック Vol. 2【ディレクターズ・カット完全版】
ラスト5分まではかなり良くて、ラスト5分くらいでドン底に叩き落とされた、最悪の鑑賞体験だった。註釈を加えてくる老人の視点が良い角度からの差し込みしかなく大体の話題をバッハとポリフォニーとフィボナッチ数でかっさらってゆくのには笑ってしまった。バッハとポリフォニーとフィボナッチ数で取り扱えない話題には狼狽し言葉を探し時には逃げたりションボリし、ひとまずは出来る範囲で向き合おうという態度で臨んでいたんだなあ、と思えていたのはラスト5分までで、そこからはもう、ドンデン返し、いたたまれない、結局それかよ、という感じ。

2025-02-04 追記

上記は Vol.1 と Vol.2 を通して観ての感想。そうした際の覚え書きが別にあったのだが、上記文章を書いている間は心象の問題でそれをそのまま転載できなかった。
別にそっちを使ってもよいかと思うようになってきたので、そうする:

Vol.2 ド頭でアンタ何も聞いてないでしょと主人公から話相手の老人がツッコまれる展開で笑ってしまった。そして Vol.2 に進むにつれて物語はどんどん深刻になり、老人の差し込みも効力を失ってゆく。なんだかんだで物語としては清算が済み悲劇としての幕が下りたというところで老人が主人公を犯そうとしやがり、悲劇が一気に喜劇(笑劇という意味ではない。『人間失格』がラストの京橋のマダムの独白で悲劇から喜劇になってしまったのと同じ意味合い)と化してしまい、このラストのせいで最悪な映画という心象をもった。
何故最悪かというに、老人の主人公への差し込みはコミュニケーション不全な状況下で主人公を口説こうとしたものでしかなくなっちゃった為だ。老人自体たぶん Vol.1 の時点では手応えのようなものを当人感じていらっしゃったのではないかと思う。主人公が語った内容に差し込みが出来ていたという意味においてのみの手応えだ。Vol.2 になってから主人公の語りに老人は追い付けなくなり、差し込めなくもなり、口説くのに失敗した。口説けなかったので、俺もお前を散々抱いてきた男のひとりになってやると無茶をやり、射殺される。ラストで明らかになったのは童貞老人が道端でボロボロの女を拾ったのであわよくば一発ヤリてえと思いつつ介抱し口説く(といいつつ女の凄絶な話に註釈以上の内容が無い反応をするだけ。そう、話を聞くだけなのだ)様を合計5時間程観ていたことがわかるというものだ。
観たあとドン底まで落ち込んだ。主人公の語る内容がこの映画を良作としている。結果としては面白い映画なのだが、ひどく打ちのめされる映画でもあった。


オッペンハイマー
やっぱりフォン・ノイマンが出ていてほしかった。

読んだり観たりしたもの (2024-12)

読んだもの

反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる (ハヤカワ文庫NF)
お前達が敵視したり逃避したりしたかった「体制」はお前らが採った手段に比べて決して劣るものではなかったね、結局お前らの思想は思想のレベルでしかなくて何かを解決するような地に根の張ったものではなかったね、みんなそれに気付かなかったか気付いていない振りをしていたのは、ンフフ、まあそれはそれとして現実に即した最適解を見出そうじゃないか、そんな感じ。思想のほうを優先しすぎて現実のほうをアンポンタンにしてしまうのはなんだか普遍性があって笑えなかった。

新装版 なんとなく、クリスタル (河出文庫)
本文と註との関係はまあ対訳みたいなもんではないかなと思った。註が和文で本文が外文だ。本文が外文のように感じるのは読み手(わたし)が本文の文化的風土の外に居るからだ。
最後のデータはオーウェルの『1984年』でいうニュースピークの文法解説みたいなもので、主人公がラストで浮かべた上品な婦人のように主人公「は」成れるかもしれないが、他は駄目だろう、というニュアンスが有ると読んだ。今の情勢がどういった回答を与えたかは知らないが、こういうソフィスティケートされた生活は今でも有るような感じはする。裾野は減ったのかもだが。手に入るモノとそこにくっついてくるブランドは変わっただろうが、そういったことを意識して評価して体感する階層とそこに追随する階層という構図は、クリスタルがどうこうという当時と今でも然程は変わっていないと思う。

サーキット・スイッチャー (ハヤカワ文庫JA)
面白かった。モチーフが解るというのは良いものだ。NTP サーバは独立かつ自律的に運営されているものを使おうと思った。

観たもの

羊たちの沈黙
小林源文あたりの漫画でよく目にする四連の看板の元ネタっぽいものが知れてよかった。

ハンニバル (字幕版)
今回観たハンニバル系映画のやつでは一番好き。初っ端のゴルトベルク変奏曲に合わせてのカットアップでやられてしまった。映像もいちいちキモくて最高だった。

レッド・ドラゴン (字幕版)
レイフ・ファインズの怖いときの顔が『シンドラーのリスト』のアーモン・ゲート役のときのそれと全く同じで怖かった。

ドクター・スリープ(字幕版)
『シャイニング』のオマージュのシーンで逐次笑ってしまって忙しかった。真面目に観れなかった。息を吸い取る屍者みたいなのは印度哲学感があった。

チャイナタウン [Blu-ray]
タバコモクモク映画。中国人街がカオスと不条理の代名詞になっていたように思うが、その意味合いが活きてくる場面はそんなに無かった。

ビッグ・リボウスキ [Blu-ray]
大好き。今年観た映画の中でいちばん好き。彼らにとってのボウリングのようなものが俺にも欲しい。

読んだもの (2024-11)

手をつけた本が案外重たかったり延々ウエルベックを読み返していたりしていたせいで今月はあまり新たな本を読めていない。

水曜日は働かない (ホーム社)
俺も絶対に京都で暮らしたい。嵯峨か西陣のあたりで暮らしたい。旅行で京都をブラブラしていた記憶が鮮やかに甦ってきてたまらない気持ちになった。京都云々は収録されているエッセーのひとつでしかないのだが、このエッセーだけで気分が高揚してしまった。