読んだもの
戦争にも戦闘にも負けた軍隊の現場の風景。とにかく生き延びること。しかし作戦は発動されスチームローラーが猛威を振るう。
ここでも大日本絵画系の数々の書籍の元ネタがわかり有意義だった。というよりこの本自体宮崎駿の『ハンスの帰還』で引かれている戦車の上に乗っている人はあっというまにコロコロ死んでいってしまうという台詞が実際にはどういう文脈なのかを知りたくて読んでいたのだった。
後述するようにアニメ版を観たのでその流れで読んだ。
最後のほうのシッチャカメッチャカさでああこれはいつもやつだ先生流石です、となった。そこに差し掛かるまではなにか凄まじいものを物語に読まされている感だけがあった。物語に読まされているという感覚があったのは久し振りだ。
理想は執着を生む。かつては覚悟であったものが虚勢にかわり、虚勢の内容が内容なので誰にも助けを求められない。
読んで面白かった、と書けばそれまで。この本片手に実際に現場へ行ってみたほうがもっと楽しめそうだなと思った。
(早口でまくし立てているイメージで読んでください)
すべての小説は「血で書かれたもの」と「インクで書かれたもの」の二種類にわけられます、と小川哲は『伊藤計劃トリビュート2』で書いた。
書き手でもない単なる一読み手としてのわたしはこの分類の他に、すべての小説は「知恵を授けるもの」と「傷を授けるもの」の二種類があると思う。
この小説はわたしにとって「血で書かれたもの」であり、「傷を授けるもの」であった。
忘れること、諦めること、選択をすること、これらは悲しくも大人の力である。子供にはそれらはまだ備わっていない。どうしようもない力不足の中、子供達は生き抜くことを求められる。とてもつらいことだ。
その力不足のつらい世界を「大丈夫」の言葉で救い、支え合い、高め、純化し、理想化し、現実に抗う二人だけの世界を練り上げてゆく。しかしその世界はその極地でどうしようもなく強い体験に塗り潰され、力を失ってしまう。
二人は別れ、離れ、一方は力を育むという能力を得て生きることができ、もう一方はどこか欠けたまま、大人になっていった。
アニメ版で貴樹くんは最後に新しい道を選ぶことを選ぶのであれは良い終わり方なのだ、という解釈がある。そうなのだろうなと思う反面、どうにも腑に落ちない感覚がずっとあった。
この物語によってその感覚を拭い去ることができた。貴樹くんは明里さんに一度授けた「大丈夫」をあの桜吹雪の中で返してもらったのだ。彼もそこで大人となったのだ。それが良いことなのか、悪いことなのか、それが本当にわたしにはわからない。たぶん良いことなのだと思う。
血を使って繊細に書かれた物語を読んでいて、あまりに繊細過ぎて胃が痛くなり心臓も動悸がして痛くなってきた
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月29日
全体の 1/5 くらい読んでこれなので読了する頃には心臓が爆発するんじゃないかと恐々している
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月29日
今でもこの物語の事を考えると心臓に違和感がでてくる。これほどまでに読書でキツい思いをしたのは『ボトルネック』と『悲しみの歌』以来だ。血も乾いてきたし何事もなく終わりそうだなと油断してたら突然生き血滴る繊細な物語が復活し心臓がビクンと跳ねて破裂した
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月29日
観たもの
鬱屈した現実を抱えているのに加えて変質的な虚構に迫られ牙をむかれるのは実に嫌だったろうな。虚実入り混じった情景と書けばそれまでだが、入り混じるどちらもが気色悪いものだったらどうすればよいのだろう。
『パーフェクトブルー』もそうだし随分昔に観た『千年女優』もそうだが、この監督はずっと虚構と現実の関係をずっと考え続けていたのだろうな(とコメンタリーでも言ってた)。
夢が現実をブッ壊してゆくのはよくあるが現実のほうが夢をブッ壊してゆくみたいなのはないのかなと思ったが、なんだかこれは神経症的な実世界の出来事みたいであまり豊かな発想ではなさそう。
劇場版『虐殺器官』について - ``一意な文字列'' で書いたので省略。
映画版の虐殺器官を観て物凄いグチャグチャした感じになってきたが物凄いグチャグチャした感じになる映画なのならばこれはすごい映画なんじゃないかなと思ってきた。観ながら缶ビール3本とジンをショットで2杯あけた
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月9日
映画版の虐殺器官を観て如何にグチャグチャした気持ちになったかをかこうとしたのに俺は小説版をこう読んだぜみたいなズレた内容になってひどい気持ちになった
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月11日
虐殺器官やハーモニーの劇場アニメ版があるという怒りの下限の存在を時々すっかり忘れてしまう
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年1月22日
かなり好き。怖い夢ばかりだったのに最後は楽しい夢を観れてよかったね。
「子供」に現実や社会は厳しく苦難に満ちている。しかしその厳しい苦難の世界であっても子供のような優しさ、楽しさは救いになる。悲しいかな、その優しく楽しい世界に留まっていることは出来ない。ふるさとにずっと居る訳にはいかないからだ。
周囲に対し傍若無人に振る舞う菊次郎が文学者志望の「優しいおじさん」にだけ一目置いた態度を取っていたことに感動してしまった。彼だけは大人でも子供でもない「お兄さん」だったのだろう。
観ているあいだずっと坂口安吾の『文学のふるさと』のことを思い浮かべていた。