``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたもの (2021-01)

読んだもの

SS戦車隊〈下〉
戦争にも戦闘にも負けた軍隊の現場の風景。とにかく生き延びること。しかし作戦は発動されスチームローラーが猛威を振るう。
ここでも大日本絵画系の数々の書籍の元ネタがわかり有意義だった。というよりこの本自体宮崎駿の『ハンスの帰還』で引かれている戦車の上に乗っている人はあっというまにコロコロ死んでいってしまうという台詞が実際にはどういう文脈なのかを知りたくて読んでいたのだった。

パプリカ (新潮文庫)
後述するようにアニメ版を観たのでその流れで読んだ。
最後のほうのシッチャカメッチャカさでああこれはいつもやつだ先生流石です、となった。そこに差し掛かるまではなにか凄まじいものを物語に読まされている感だけがあった。物語に読まされているという感覚があったのは久し振りだ。

命売ります (ちくま文庫)
理想は執着を生む。かつては覚悟であったものが虚勢にかわり、虚勢の内容が内容なので誰にも助けを求められない。

妙な線路大研究 東京篇 (じっぴコンパクト新書)
読んで面白かった、と書けばそれまで。この本片手に実際に現場へ行ってみたほうがもっと楽しめそうだなと思った。

パンデミックvs.江戸幕府 (日経プレミアシリーズ)
「無敵の人」がいっぱいいる治世は大変そうだと思った。

秒速5センチメートル one more side
(早口でまくし立てているイメージで読んでください)
すべての小説は「血で書かれたもの」と「インクで書かれたもの」の二種類にわけられます、と小川哲は『伊藤計劃トリビュート2』で書いた。
書き手でもない単なる一読み手としてのわたしはこの分類の他に、すべての小説は「知恵を授けるもの」と「傷を授けるもの」の二種類があると思う。
この小説はわたしにとって「血で書かれたもの」であり、「傷を授けるもの」であった。
忘れること、諦めること、選択をすること、これらは悲しくも大人の力である。子供にはそれらはまだ備わっていない。どうしようもない力不足の中、子供達は生き抜くことを求められる。とてもつらいことだ。
その力不足のつらい世界を「大丈夫」の言葉で救い、支え合い、高め、純化し、理想化し、現実に抗う二人だけの世界を練り上げてゆく。しかしその世界はその極地でどうしようもなく強い体験に塗り潰され、力を失ってしまう。
二人は別れ、離れ、一方は力を育むという能力を得て生きることができ、もう一方はどこか欠けたまま、大人になっていった。
アニメ版で貴樹くんは最後に新しい道を選ぶことを選ぶのであれは良い終わり方なのだ、という解釈がある。そうなのだろうなと思う反面、どうにも腑に落ちない感覚がずっとあった。
この物語によってその感覚を拭い去ることができた。貴樹くんは明里さんに一度授けた「大丈夫」をあの桜吹雪の中で返してもらったのだ。彼もそこで大人となったのだ。それが良いことなのか、悪いことなのか、それが本当にわたしにはわからない。たぶん良いことなのだと思う。

今でもこの物語の事を考えると心臓に違和感がでてくる。これほどまでに読書でキツい思いをしたのは『ボトルネック』と『悲しみの歌』以来だ。

観たもの

パーフェクトブルー【通常版】 [Blu-ray]
鬱屈した現実を抱えているのに加えて変質的な虚構に迫られ牙をむかれるのは実に嫌だったろうな。虚実入り混じった情景と書けばそれまでだが、入り混じるどちらもが気色悪いものだったらどうすればよいのだろう。

パプリカ
パーフェクトブルー』もそうだし随分昔に観た『千年女優』もそうだが、この監督はずっと虚構と現実の関係をずっと考え続けていたのだろうな(とコメンタリーでも言ってた)。
夢が現実をブッ壊してゆくのはよくあるが現実のほうが夢をブッ壊してゆくみたいなのはないのかなと思ったが、なんだかこれは神経症的な実世界の出来事みたいであまり豊かな発想ではなさそう。

虐殺器官 [Blu-ray]
劇場版『虐殺器官』について - ``一意な文字列'' で書いたので省略。

菊次郎の夏 [Blu-ray]
かなり好き。怖い夢ばかりだったのに最後は楽しい夢を観れてよかったね。
「子供」に現実や社会は厳しく苦難に満ちている。しかしその厳しい苦難の世界であっても子供のような優しさ、楽しさは救いになる。悲しいかな、その優しく楽しい世界に留まっていることは出来ない。ふるさとにずっと居る訳にはいかないからだ。
周囲に対し傍若無人に振る舞う菊次郎が文学者志望の「優しいおじさん」にだけ一目置いた態度を取っていたことに感動してしまった。彼だけは大人でも子供でもない「お兄さん」だったのだろう。
観ているあいだずっと坂口安吾の『文学のふるさと』のことを思い浮かべていた。

劇場版『虐殺器官』について

先日、今更ながら劇場アニメ版の『虐殺器官』を観た。

同『ハーモニー』がとても悲しいことになっているという苦い記憶があり(そのあたりは
劇場版『ハーモニー』について - ``一意な文字列'' で書いた)、随分前に公開されたというニュースをみても観にゆく気にならず、今回もまた悲しいことになっているんだろうと憂鬱になり、悲しい目に遭ってやたらに酒を飲む破目になるんだったら観ないほうがいいやとずっと過ごしてきた。

しかしまあ観ないまま憂鬱でいるよりも観て憂鬱になったほうが健全かなと最近思うようになり、ちょうど観れる機会を得たので観てみることにした。
結果、予想通り憂鬱になり、冷凍庫でビン半分残して冷やしていたボンベイ・サファイアをストレートで一気に飲み上げ、見事に宿酔になってしまった。

ここで到来した宿酔はほぼ治りかけているが、どうしても憂鬱な気持が解消されてくれない。
なんとかしてこの落ち込み加減を文章の形で出しきり、憂鬱な気持にケリをつけたいがためこの文書を書いている。

以下、小説版および劇場アニメ版のネタバレが殆どの内容になります。


原作を基準にすると『虐殺器官』という物語は以下の2軸で展開されているように読める:

  • ラヴィス・シェパードという人物の罪の意識(ぼくを愛してくれていた母をぼくは殺してしまったのではないかという疑念)
  • ジョン・ポールおよび「虐殺の文法」の存在についての回答

前者の肉付けというか裏打ちのようなかたちでクラヴィスの部下であるアレックスの語る「地獄」も存在する。最初はエッセンスとしての存在程度ではあるが、アレックスの自殺とプラハでの逡巡を越えて「地獄」はクラヴィスの罪の意識の土壌のようになってゆく。
ラヴィスは母殺しという罪の意識を自分だけで抱えられるほどに強くはなく、それゆえ時折到来する「死者の国」で描かれる何もかもが死んだ穏やかな破滅の光景に安らぎを見出している。母からの呼び掛けに実家時代の安らぎも見出しているので母からの愛による安らぎもあるだろう。
その母を殺した罪をどうすればよいのか。ルツィア・シュクロウプ*1への告白とその反応で、ルツィアからの赦しのような感覚をクラヴィスは得る。自身の罪はルツィアによって赦された。しかしその赦しを施した存在は虐殺の文法の示唆と共に遠くへいってしまった。以後のシェパード大尉の戦闘は再びの赦しを追い求める追跡行となってゆく。
インドおよびヴィクトリア湖での戦闘を経、クラヴィスは自身の罪を赦してくれる唯一ともいえる存在であるルツィアを失う。赦しを求める気持ちはいつしか愛に変わり、クラヴィスは愛した者を失う喪失感に陥る。そして帰国し除隊した後のアメリカで、自身を愛してくれているはずだった母から実は愛されていなかった(と暗示される)ということを知る。
愛するものを失い、愛されていることも失なったのだ。クラヴィスは強くない。罪は赦されず、愛もない。そんな状態で地獄をひとりきりで直視し続けることなど、彼には耐えられなかったのだろう。アレックスのように地獄を正気でみつめる勇気がなかったのだ。
生き地獄、みんなで向かえば怖くない。クラヴィスは虐殺の文法を振り回し、ひとりきりで地獄をみつめるのではなく、生きる世界そのものを地獄にして逃げたのだ。

……というクラヴィスの一人称の物語という読み方をわたしはしている。
前述の2軸のうち、これはあきらかに前者に偏った読み方であることは否定しない。虐殺の文法は重要な要素であるとはいえ、物語を成立させる小道具のひとつとして読んでいる。

いっぽう劇場アニメ版はクラヴィスの母に関する描写がない。アレックスの語る「地獄」については要所要所で語られるものの、クラヴィスが「地獄」を自身に強く結びつけているような描写もない。そのうえアレックスの語る「地獄」は感情適応調整、PTSD、および虐殺の文法による効果によるもののような描写にも見えなくはない。
ルツィアの描写はどうだろう。アニメではジョン・ポール、少なくともルーシャス一味の仲間として描かれている。原作での赦しを与える存在からズレてしまった。クラヴィスチェコ語のレッスンにおける会話のみで*2ルツィアに惚れたかのような描かれ方をしている。
ルツィアは最終的に射殺され、原作通り退場する。母からの愛や母殺しへの罪の意識もなく、ルツィアからの赦しに呼応する彼女への愛もないクラヴィスは何をもって虐殺の文法を振り回すのだろうか? ルツィアを殺した世界への復讐に見えなくもない。

地獄を愛なくひとりでみつめることからの逃亡。惚れた女を殺した世界への復讐。クラヴィスの強くなさはここで小説版とアニメ版とで奇妙な一致をみた。
ここまで書いてクラヴィスという人物の捉え方の根底はどちらでもあまり変わらないのだという結論に至り、自分でも驚いている。

罪の意識、愛すること、愛されること、そのすべてが解決不能ないし消滅したことで虐殺の文法を振り回すこと。
愛する女性を死に追いやった世界に牙を剥くことで虐殺の文法を振り回すこと。
しかしながら前者を描き切り主人公を空虚な絶望で染め上げることに成功した小説版の展開に比べ、後者はとても簡潔でわかりやすい。わかりやすすぎる嫌いがあるように思う。
愛することに対してアニメ版のクラヴィスは純粋すぎ、なんだか表面がツルリと綺麗な感じだ。小説版のクラヴィスは顔をクシャクシャにしてベソをかいているような醜さがある。

世界を「地獄」に叩き込むなら綺麗な人間よりも醜い人間のほうがよい。そんな訳のわからないわたし自身の気持ち悪さが劇場アニメ版『虐殺器官』を観て憂鬱な気分にさせた理由なように思う。

*1:アニメ版で「シュクロウポヴァ」と女性形っぽくなっていたのはよかった

*2:作戦前にやったかもしれないプロファイルの読み込みなども描写外で効果あるのかもしれない。が、アニメ版でそういう描写ってあったかしら? 記憶がない

読んだり観たりしたもの (2020-12)

読んだもの

JR上野駅公園口 (河出文庫)
題名から漂うしょっぱさに我慢ができず読んだ。予想通りのしょっぱさだった。が思想性の強い作品で、物語が思想に負けている感がどうしても否めない。思想の強さそのものに物語性があり、その意味では骨太。

他人の顔 (新潮文庫)
劇中作の映画のシーンが単純に綺麗だと思ってしまった。悲惨な情景ではあるのだが。自分で思うことと他人がどう感じるかは当然違い、仮面に期待することも自分と他人とで違い、見え方も異なる。独善的であることは何も救いにならん。ラストは主人公の逆切れなように感じた。

燃えつきた地図 (新潮文庫)
買ったのは新潮文庫だが表紙が違う。まあそれはともかく。
主人公が途中から夢の中に迷ったのか本当に記憶を喪失したのか文面から読み取れず困ってしまった。どこかわけのわからんところに迷ってしまった感はあった。失踪というか意図して消えたというよりは自分が判らなくなってしまった、という感じか。自分を忘れられる、消滅させられるというのは魅力的ではあるが、それは消滅以前に戻れることを前提にした魅力であり、不可逆だと死に等しい。死は終わるが、消滅だけだと生ける屍と化す。怖い。

SS戦車隊〈上〉
大日本絵画系の本(具体的にはモリナガ・ヨウ宮崎駿)の元ネタを知ることができて大変有意義だった。戦闘にはかろうじて勝っていたりするかもしれないが戦争には負けている軍隊における現場の苦闘の数々。

観たもの

あの夏、いちばん静かな海。 [Blu-ray]
綺麗。ちょっと綺麗すぎたかも。監督間違ってないよなとパッケージ5回くらい見直した。

ラブ&ポップ

式日
『ラブ&ポップ』ほどのブッ飛んだ感じが映像になく、秀作ではあるがなんだか微妙に感じてしまった。庵野秀明村上龍の組み合わせが完璧すぎていたのかもしれない。
虚構と現実との対比と現実への帰還。虚構は自分で筋書を決めるので「未定」は有り得ず、彼と彼女とは戻ってきた現実の中で生きてゆくのだろう。
このブログの元ネタとして使っているメモ帳には感想としてエヴァ旧劇のセルフオマージュじゃねえか(要約)というものが書かれていたが、感想としてあまり面白くないので割愛する。

読んだり観たりしたもの (2020-11)

まだ1日あるが変化しないとみられるのでもう書く。

読んだもの

ナナ (新潮文庫)
最後のふたつの章で今までの登場人物が全部始末されてゆくのが圧巻だった。ここまでやってオチをどうするんだろうと怖くなったが、やっぱり死だったか。

シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選 (竹書房新書)
アレクサンドリアを焼く』と『夜の似合う場所』が好き。後者は後味の悪さというか選択の気持ち悪さが格別だった。以下のような感想をもったのだが、ほんとうにそういう物語がナウシカなのかはわからない(最終巻のシュワのあたりの話をねじまげた印象になっている気はする)。

実際のところナチの収容所ないし中東戦争あたりを題材にとった物語を期待していたのだが、前者については想像力が勝てるものではなく、フランクルを読んだほうがよい。後者はわからない。

砂の女 (新潮文庫)
延々と始末を続けないといけない砂のなかにはわたしもいる。絡みついて離さないほうの砂はまだお世話になっていない。後者の割合が大きくなる中盤くらいで描写がいきなり緻密になるのはだいぶ面白かった。

二十歳の原点 (新潮文庫)
若者が自分の死の接近につれて言語感覚や感性が鋭くなってゆく様がここにもあった。『きけわだつみのこえ』と同じなので私的に「わだつみ効果」とでも呼びたいものがある。
理想と現実のギャップを埋めるのは難しく、また完全に埋めるのはほとんど困難である。他人や周囲や理想と自身の現状とのギャップやズレとの格闘を続け、彼女は勝てなかった。勝てるものでもない。負けぬように格闘を続けることを強いられるものなのだ。これは安吾の受け売り。
太宰評と飲酒に対しての態度がとても好き。

観たもの

現金に体を張れ スタンリー・キューブリック Blu-ray
先月観たのだが書いてなかったので。『博士の異常な愛情』のリッパー将軍がマトモだ!!! と感じてしまった以外にあまり印象がない。『博士の異常な愛情』よりも前に観るべきだった。

ニュー・シネマ・パラダイス (字幕版)
血生臭くないタランティーノという感じがした。ワンハリとほとんと同じテーマだと思う。ワンハリから史実への復讐を無くせばこれになる。

読んだり観たりしたもの (2020-10)

読んだもの

お目出たき人 (新潮文庫)
計画を立てているときが一番楽しい。

居酒屋 (新潮文庫)
飲酒を扱う物語ではじめて酒を飲みたくなくなった。不穏な展開が全部不穏に進行して何も救われず破滅に行き着いてしまう。報われる要素も一切無い。マトモでいたいときに読むとよいと思う。

観たもの

3-4x10月 [Blu-ray]
沖縄に飛ぶまではうだつの上がらない青年の成長(?)といった感じだったが沖縄に飛んでからはなにもかもフッ飛んで訳がわからない感じになった。無言で暴力が振るわれると怖い。『肉弾』に並んで今年観てよかった作品のひとつになった。

読んだり観たりしたもの (2020-09)

読んだもの

谷間の百合(新潮文庫)
ウエルベック繋がりでバルザックを読んでみたいという話を飲み友達に話したらおすすめされたので。苦難と忍耐とを重ねに重ねて死んでいったかつて愛した人をいつまでも引き摺ってるんじゃないアタシは知らんみたいな最後の手紙で笑ってしまった。突然紙面から手が伸びてきて平手打ちされた気分になった。

ゴリオ爺さん (新潮文庫)
こちらのほうが好き。キリストになりきれなかったご老体とそこから社会という魑魅魍魎に挑まんとする若者の話。
葬儀の時にクリストフがポロリとこぼす一言が『風立ちぬ』(映画のほう。わたしがこれに言及するときはほぼ確実に映画のほう)の黒川夫人が奈緒子との別離でこぼすそれと同じ様相でとてもよかった。

観たもの

独立愚連隊
愉快痛快。新聞記者というのは無理があったんじゃないかなあとは思った。

独立愚連隊西へ
プロフェッショナル(同士)の爽快さと虚栄心の切なさ。

スカーフェイス (字幕版)
全て俺の力でやってきたのだという所感はだいたい妄想。妄想に肉体を与えるのは狂気と暴力。肉体といってもハリボテなのですぐに崩れてしまう。身の詰まった肉体を得るのは難しい。

孤狼の血
白骨死体や水死体や食糞を映像として観せる(観せられる)骨太な映画だった。行動指針に理由付けが与えられてしまうのは物語上仕方無いのだがちょっと不満。広島大卒の役をやっている人の眼が恐しすぎたのだが現代版『日本のいちばん長い日』の畑中少佐役の人だと知って納得。

凶悪
ピエール瀧と同じ画面の中でピエール瀧以上の狂人になってしまえる人がいるのかと感動してしまった。そういえば『SCOOP!』でそういう役をやっていたか。

読んだり観たりしたもの (2020-08)

読んだもの

本棚見てわたしにしては今月結構読んだなとビックリしている。

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

いままでの拒絶か放棄から受容に変化した。どこかの書評で解脱と表現されていた気がするがそこまで立派なものではないと思う。

地図と領土 (ちくま文庫)

静かな物語だった。自分を登場させて言いたいこと言い尽したので自分の事殺したのかなと思ったが以後もウエルベックは続いているのでそんなことはないか。

軍旗はためく下に-増補新版 (中公文庫)

映画は何度も観たが原作は読んだこと無かったので。映画は国家に対するニヒリズムみたいなものがあったがこちらは弱者がひたすら泥を被りまくる苦痛がこれでもかと広げられていた。山本七平を読みたくなる。

小説 天気の子 (角川文庫)

世界と引き換えに失われたものが完全に戻ってくる。それなら世界を投げ捨ててしまえばよい。破壊された世界で戻ってきたものと共に生きてゆこう。

同じく世界を賭したのに失なったものが戻ってくることはなかった『雲のむこう、約束の場所』のほうが500倍は好き(あわせて再読したのでどうしても比較してしまう)。

氷菓 「古典部」シリーズ (角川文庫)

友人に勧められて。省エネを連呼する姿勢がどうしても鼻についてしまったのだがこれは馴れるのだと後の物語で学ぶのだった。周囲の熱におされるまま偶像に成り果て全ての泥を被って消える刹那に洒落を仕込める人間は詩人だ。

愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ (角川文庫)

ひとは観たいものを観て演じたいものを演じる。

クドリャフカの順番 (角川文庫)

今回読んだ「古典部」シリーズの中で一番好き。手の届かない所にいる / あるものへの憧れ、期待、反省、様々な態度が溢れている。それらは手の届かなさを自覚する者だけが血を吐き苦しむ特権であり、ただただ解明するだけの安楽椅子探偵にはその血飛沫の熱を感じることはできない。

遠まわりする雛 「古典部」シリーズ (角川文庫)

箸休めみたいな感じかなと思った。気楽に読んでしまった。だがとあるお話の心情の吐露でこの気楽さは吹き飛んだ。このお話だけは『クドリャフカ〜』と同じくらい好き。よく考えなくてもわたしはこのシリーズをミステリとして読んでいないことがわかる。

ふたりの距離の概算 (角川文庫)

材料を全て並べ尽した上でイベントの終了を最後まで描かないのは『ボトルネック』っぽくていいなあと思った。

いまさら翼といわれても 「古典部」シリーズ (角川文庫)

これは物語を次の段階へ進める為の清算だと思う。次が楽しみ。省エネ思想に背景が与えられたので『氷菓』も気持ち良く読めると思う。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

いちおうミステリなやつを読んだ直後に読んだので失踪の解釈に別世界を持ち出すのはダメだろ、と思ってしまった、が別にミステリではないのでそれでもよかったのだった。あちらの世界は捨てざるを得なくなったものの集積場で、生きる以上は捨てなくてはならぬものがどうしても出てしまう。いつかは捨てなくてはならないものをいつまで持っていられるだろうか。

観たもの

肉弾

カッコカッコ言いすぎてどんな数式だったかわからなくなった。ヤケクソの度合いもここまでくると笑うしかなくなってしまう。いつも夏に観る映画は『日本のいちばん長い日』と『激動の昭和史 沖縄決戦』だったのだが、これからはこれも加わった3本を観るようになるだろう。