``一意な文字列''

雑多な事柄

スードートーキー

 映画の中の数秒間を複数枚のスクリーンショットに収め、それをgifアニメに仕立て直すというのが楽しい。
 もともと「シンドラーのリスト」に出てくる、焼却されていく大量の死体の山に向かって絶叫しながら拳銃を撃ちまくるSSの下士官*1が私の琴線に触れてしまっていて、この人の狂態をずっと見ていたいと思い、gifアニメに落とし込んでみたのがきっかけで楽しさを実感したのだった。
 普段映画を見たりするのにはVLCメディアプレイヤーを使用していて、スクリーンショットもこれを使用して取得しているのだけど、スクリーンショットを短期間とはいえ連続して取得し続けるというのは大変負荷の掛かる作業であるようで、取得したスクリーンショットを確認するとところどころコマ落ちしたり、ダブっていたりする。こういう欠損もgifアニメとしてあつらえると趣と化すので、とてもおもしろい。
 私の趣味に偏向があるので、今までに試みたのは「シンドラーのリスト」、「意志の勝利」、「時計じかけのオレンジ」というなんともはやという感じなのだけれど、手軽かつ気ままに楽しめる遊びとしてとてもよいものだと思う。
 あと、大量のスクリーンショットを適当にフォルダ分けして捌くために、以下のようなシェルスクリプトを書いて使用した。
be happy
 シェルスクリプトを体系的に学びたいといつも思っているけどしばらくするとそんな思いはどこかに吹っ飛んでしまってるし、インターネットを徘徊して断片的な知識を集めてやっつけスクリプトを書いても消してしまうかして実体が消滅し、使用したいときに参照出来ないというようなことがあったりするので、ここに控えておくことはいつか有意義になると信じている。

*1:アルベルト・フヤール(Albert Hujar)という役名らしい( Schindler's List )。この人がどんな様子なのかは前記したリンク先で確認できる。ちなみにこのアルベルト・フヤールは、劇中の強烈な悪役であるアーモン・ゲートと同じく、WWII終結後に戦争犯罪人として処刑されたようだ。

魔法の箱ないし板

 コンピュータが好きだ。何故だと理由を聞かれると困るけれど、とにかくコンピュータが好きだ。
しかし、コンピュータに齧り付いていると、生きるのを急かされている気分になる。コードをバリバリ書くような人間でもないし、絵も書かなければ音楽も作らないし、他人にひけらかす事のできる成果物をなんら持ち得ないけれども、とにかくコンピュータに触っていると何か生産的なことをしなければならないという気分になってくる。その結果無力感や不安に苛まれてストレスがたまって疲労してくる。それでも何か生産的なことをしようと齧りついて画面を凝視していると、今度は目が痛い、首を回すとメチャクチャ音がなる、肩が回らないとかいう物理的な疲労が生成される。
 使用している道具が便利で優秀で生産的だからといって、それを使う人間が便利で優秀で生産的であるとは限らない。何でも出来そうなコンピュータに触れていると、自分もまた何でも出来そうな存在であると思えてくるが、実のところは自分自身は便利でも優秀でも生産的でもないのだ。これをどうも私は忘れがちだ。
 道具と自分とを同一視しないようにしたい。

記録

 本を読んだ。
帰ってきたヒトラー 上
帰ってきたヒトラー 下
 PPKのことを考えると起こる頭痛に悩むヒトラーおじさんが病院で診察を受けたら実は脳に弾丸が埋まっていた、となったら面白いと思う。

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)
 坂口安吾はエッセーストじゃなくて文学屋さんだった。でも私はエッセーのほうが好きだ。

これはペンです
 .Xmodmapは私の環境では無かった。

飲酒の精神

 手持ちにある坂口安吾のエッセーを再読した。

堕落論 (角川文庫クラシックス)
(手持ちのは表紙のデザインがちょうど白黒反転したもの。本当はそれを選びたかったのだけれど見つからなかった)

 坂口安吾のエッセーをたくさん読んだとか熟読したとかそういうわけでは無いのだけれど、今まで読んだ中では(=手持ちの本の収録内容の中では)「不良少年とキリスト」というエッセーがとても好きで、気が向いた時に何度か読み返している。これを読んでると酒を飲みたくなくなるし、虫歯の経験が無くてよかったと安堵する。
 で、今、このエッセーを読んでると酒を飲みたくなくなると書いたけれども、酒を飲んでる時とか酒を意識しているときはだいたいこれが浮かんでくる。酒がうまいとかなんとかかんとか、そういうことではなくて、酒はただ酔うために飲むという考え方が、とても好きだ。そりゃあ酒を飲むなら美味しい酒を飲むのがいいだろうけど、料理とかそういう意味の、味覚を満たすための酒というよりは、薬とかそういう意味の精神を満たすための酒という扱いのほうが、考え方としてしっくり来る。
 坂口安吾は恋愛とか肉体とかそういう方面がうまい作家らしいけど、私はヒロポンとかアルコールとかを書いてる氏のほうが、どうにも輝いて見える。

陳述

 いろいろ読んだりした。


[改訂第6版] LaTeX2ε美文書作成入門

[改訂第6版] LaTeX2ε美文書作成入門

 

  リファレンス。

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

 

  主観的な死から客観的な死への変遷。「あなた」は両義的なようだが、私にはそうは思えなかった。

それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)

それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)

 

 なにかを期待して読み始めたはずだけれど読み終えた時には何を期待していたのか忘れていた。

ゲルゲルト

 読みたい本は多々あれど、最近は収入源が一時的に絶たれてしまっている事が原因で自由にものを買ったりできない状態が続いている。本に限らず観たい映画とか聞きたい音楽とかについても話は同じで、結果アマゾンのほしい物リストがブクブクと肥大し続けている。とか書いていたら最近ヤフオクThinkPad X61用のシステムボードを購入したことを思い出したし、単に金の使い方が下手糞なだけな気もしてきた。

 ともかくそういうわけで、それなら金を払って文章を読むのがきついなら金を払わなくても読める文章を読めばいいじゃん、と思い立って、インターネットに転がっている文章を拾ってきて読んでみることにした。

 で、以下を読んだ。

 インターネットから拾ってきた文章を読んでて思うことは、どうにも眼や肩、首にかかる負担が凄まじいという事だ。まばたきとかは文章を読んでると普通に忘れるので、気が付いた時には眼がカッサカサで、目を瞑るとしばらく開けることが出来ないというような事が多々あった。液晶画面を注視しているせいなのは明らかだし、電子ペーパーなビューア(あればだけれど:調べていないので存在が不明)とかで読めば解決する話なので、今後インターネットから拾ってきた文章を読むときはそういうビューアの導入を視野に入れたい。

 でも、ビューアを買うのと紙の本を買うのとだとどっちが有意義なんだろうとか考え始めるとどうにもならず、結局また下手糞な金の使い方を遺憾なく発揮して、再び眼と肩と首を痛めながら液晶画面を注視することになるのだと思う。