読んだもの
背景知識が無いと解った気分にしかならないやつ。しかし罪を認めて償った人間が罪を自己同一化して有り続ける人間を殴り続けるみたいなのは示唆的だ。罪の外部化と内部化とでも言いたくなる。外部化できると冒した罪は究極的には犯した人間から切り離される。内部化すると犯した人間と罪とは同化する。罪と共に生きるほうが内省的というか思索的になりそうだが、それが意味のある内省や思索なのかはどうなのだろう。
珍妙な題名だがちゃんと村上龍だった。しかし先生どうしてここ最近『すべての男は消耗品である』の蒸し返しみたいなことしか書かなくなってしまったのだろう。
小説らしい動機があって物語がそこから一見して発生するのだが、その中身は過去の体験についてなのだ。『MISSING』でも同じような印象だった。『イン ザ・ミソスープ』を私は昔も今も、そして今後もきっと愛読し続けるのだが、その後書き*1で小説は物語の中にある情報が組込まれている云々とある。『MISSING』と本作とが私小説であるとして、私小説もこの小説の枠に含まれるとすれば、物語の中に組込まれている情報とは村上龍だ。怒りから小説を書いていた云々と本文にある表現から考えると、先生もう怒りはなくなってしまったのかな。残滓の振り返りをしている先生を俺は見たくない気がする。
太宰くんちょっと引用しすぎだよ。情緒的なところがほとんど引用じゃないか。
「人間は恋と革命の為に生れてきた」*2という思想の引用から先生は物語に負け始めてしまい、ギロチンギロチンは先生の戦闘の結果生じた絶叫だったのかもしれないね。『斜陽』を読むときと全く同じ心境で読み、『斜陽』と同じような感動を得た。わたしは『斜陽』が大好きだ。これ以上何かを言う必要もないだろう。
『明るい方へ』のほうは事実ベースの記述ということで、そちらのほうは対照できる資料が手元に無いのでなんとも言えない……。
観たもの
ああ小さくとも幸せな(身近な事柄に目を向けてその魅力に気付き気付かされるような)生活とはなんと良いものだろう。ミミズがウジャウジャ出てきたシーンだけは背景がよくわからなかった。旦那さんの創作の題材だったんだろうか。営業部長のパパさんは形見が狭すぎ壊れ気味。ポール・バニヤン人形がやたら出てくるのはこの物語がフィクションでしかないという暗示か。
すこし前に『石の花』を読んでその流れをうけたもの。音楽がすごい。それはもうすごい。すごいのだが音楽自体が記憶にのこることはなく、ユーゴ内戦と「天国」のシーンが大変印象的。映画の結末だから印象に残ったのかもしれない。




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