戦争最後の年のハンガリー戦くらいまでの状況におけるベルリンの生活模様が描かれていて、これはもしかして国民突撃隊あたりまでやるのかと緊張してたらベルリンを脱出してて意外だった。したたかに生活したり占領軍の都合で右往左往としたり、敗戦国の住民のひとつのケースという感じがした。作中で東京大空襲が2月某日みたいに書かれているが、手持ちの資料(東京都戦災誌)には該当しそうなものがなく、いったい何時を指していたのだろう。
『しらふで生きる』を読んでから酒を飲むということについて思い悩むことが多くなったと飲み友達と酒を飲んでて話してたら勧められた。思弁的な事柄を充分に表現できる言葉を持てればよかったのにね、言葉は道具であり武器だね。しかし思考と言葉とが一致したときには確かに破滅が訪れ(酒屋をぶち壊すシーンはかなりヤバくて大好き)、言葉は兵器だね。
サボテンを育てたくなった。『雑草で酔う』を前に買おうとしたら発禁だか回収だかで異常な値段になっててとても悔しい思いをしたのだが今調べたら普通に売られてた
— 之貞 (@ngsksdt) 2022年8月19日
この本を読んでて寝落ちしたときに見た夢がこれだった。けっこう強烈な印象だったのだと思う。ただしこの本は留置所生活ではある。酒の飲み過ぎで刑務所送りになる夢を見て目が覚めて最悪の体験をした
— 之貞 (@ngsksdt) 2022年8月21日
作中でいう「プログラミング」の教科書が非常に女性的な扱いになっているのは現代のコンピュータ系の本が男性的なのだということを暗に匂わせているのだろうか。
RSHA ができたのはポーランド戦が始まってからじゃなかったか? とかなんかそういう細かいことが気になってしまった。ガジェットとその効果を示す特徴的なエピソード以外はだいたい史実をなぞっている為だと思う。
ここまで読んで「ニッティングパターン」というのがいわゆるライブラリの言い替えだということにやっと気付いた(デザインパターンみたいなやつなのかと思ってなんか話が繋がらんぞと悩んでた)。負けても地獄で勝っても地獄、脳死しても地獄でシステムをハックしても地獄、結末は苦笑しかできない。脳いじりの技術的理屈付けがニューラルネット「だけ」に読めてしまうのは読み手の問題だろうか。
解説にもあるが、狂人が包丁を持つと怖い。正確な文面は忘れたが京都市は都市と自然とが人が快適に暮らせる絶妙なバランスで成立しているみたいな一文があり、非常にその通りだと思った。