``一意な文字列''

雑多な事柄

恥識

 インターネットに散らばる知識は多くの場合その真偽がその情報のみでは判別できない。そこでインターネットでは知識の表現技法が重要である。知識の表現技法が優れていれば優れているほど、一見した時にその知識は真実であると受け取られやすくなる、あるいはその知識は「面白い」と受け取られる。

 ……とかいう妄想が、論理とか脈絡とかをことごとくシカトして「インターネットに出力する知識はすべて脳味噌からひり出されるものでなくてはならぬ」という妄執に、いつの間にか変化してしまった。この結果、ただでさえ楽しめなくなりつつあった「他人がインターネットに書き連ねる日常」に加え、自分がインターネットに日常を書き連ねる事をも楽しめなくなりつつある。

 コミュニケーションにはある程度自分というものを相手に曝け出すことが必要である。それが出来ないというか楽しめなくなるっていうのは、特に文でコミュニケーションをとるインターネットに於いてはコミュニケーションが出来なくなるということを意味していることになるんだろう。

 それでもインターネットに駄文を書き連ねているのはなぜだろう。モヤモヤした気持ちになりながらもまた駄文を書いてしまった。