``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたやつ (2025-02)

読んだやつ

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
第三部あたりからいきなり面白く感じ始めた。やはり破局とそれに伴う壊滅の物語は楽しい。第二部までは理想を現実のものにしようと果たせぬ努力を尽くし田舎の俗物共にウンザリさせられるような、所謂積み上げの展開で、これが私には長かった。
解説を読むにフローベールの技法による心理描写が第二部までに既に出ているらしいが、読み手の力量不足で全く読み取れなかった。物語からはスペクタクルしか読み取れない。

湿地帯 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション ロ 11-1 ) (二見文庫 ロ 11-1 ザ・ミステリ・コレクション)
『うんこの博物学』由来。ずっとシモの話が続き、まったくどういう顔をして読めばよいのかわからない。特に衛生的な側面では(理屈は解るという場面は有るにせよ)最後までわかりかねた。両親の関係と神への視点と性愛への連絡みたいなところで少々『ニンフォマニアック』と同じような印象をおぼえた。解説がけっこう良く中身の説明をしてくれていて有り難い。物語上の妙がある物語というよりは観点や価値観に衝撃を与える類の物語で、この揺さぶりが面白い、そんな小説。

悲しみよ こんにちは(新潮文庫)
泥酔して襲撃した友人宅の本棚から強奪してきたやつ。返さないと。そして読んだやつと表紙が違う。
狡猾な「捕食動物」を手懐けようとしたら喰い殺されたというオハナシを捕食動物側の目線で展開したようなもの。ただ捕食動物が今回殺したのは実は同輩だったと後から気付いてしまい、けれどもわたしも生きないといけないし、いろいろと薄まってゆく。
こねるだけの粘土でしかないが型を拒絶する粘土であると自身を形容する独白が印象に残った。

すべての見えない光 (ハヤカワepi文庫)
たぶん飲み友達とナチスドイツの話をしてたときに薦められたような、そうでもないような。
物語後半でドイツ側の主人公周辺の女性陣が WWII 最期のベルリンに飛ばされた時点でこの本は軽い読み物ではなくなってしまった。今思うと何らかの供物的な描写だったかもしれない。そしてベルリンの描写自体は薄い。このへんは本筋ではないのでまあいい。ほかにも考証にはてなと思う箇所がいくつかある*1*2が、キビキビ進む物語で読んでて面白い。脱出や逃避や転戦の末に同じ舞台に役者が揃い、そして皆さん退場したり地獄をみたり辛酸を嘗めたりする。痛みながら戦後を生きてゆく。読み終えたあと実にしんみりとした気分になった。手元にドビュッシーの音源があったらよかったのになと思った。



モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
坂口安吾の『教祖の文学』がけっこう好きで、いつか小林秀雄を読んでみたいと思っていた。
教祖〜で安吾小林秀雄が歴史の蓄積からくるものしか見なくなったらしいことを批判していた。この選集の中にある西行や実朝に関しての評論はそうかもしれないが、作品とそこに込められた思想「だけ」を扱っていたか、そうではないと思う。教祖〜が書かれた時期と照らしていないので詳しいことは言えないが、そういう批判に対しての回答が表題の『モオツァルト』だったりするのかしらん。モーツァルトの境遇や作品に乗じて小林秀雄自身の思想や思考もつらつらと述べられていて、この作品については小説のような趣きがあり、読んでいて面白かった。もっともつらつら書くみたいなものが安吾の言う「人間の実相」みたいな意味で槍玉に上がっていたのかもしれないなとも思う。
読んだ中では『骨董』と『真贋』が好き。骨董も歴史の蓄積ではあるかもしれないが、文学は時代から切り離される場合が有りつつも人間の生活の実用に存在する上では生きている骨董というものは「人間の実相」に近いんじゃないかな、よって骨董趣味は別に否定されるものでもないのではと感じた。……が別に文学だって時代から切り離されず人間の生活の実用に今も堪え続けるものはあるわけで(方丈記とかそうだと思う)、骨董の弁解にはならんな。

観たやつ

アメリカン・サイコ (字幕版)
『普通の奴らは皆殺し』由来。観た直後のメモには「ハイソな人類補完計画」とか書いてあるのだが、さすがにこれは違うだろう。ハイソサエティであれば誰が誰であろうとどうでもいい、気にしてない、これくらいの印象。たしかに『ファイト・クラブ』と関連付けられて評価されるだろうな。ただしこちらは匿名性というか個人の埋没によって個人が空虚さに狂ってゆくほうを描いている。ファイト・クラブにある集団側の狂気(というほど発狂していない感じはするのだが)とは趣きが異なる。

Broken Rage
北野武名義ではなくビートたけし名義だったので、つまりそういうことだった。北野武名義の映画と勘違いしてずっと観てしまい、これコントじゃねえか、どうしたんだと思っていたら、コントだった。皆さん笑いながらコントを演じておられ、こっちをやりたいが為の前フリだったんだろうな。

ニューヨーク1997
MGS2 のイメージソースということでずっと観たかった。観た。MGS2 のほうが物語としても好き。
主人公がほぼ唐突に(と思うのだが段階が実は有ったのだろうか? 煙草をねだられるところが前フリだったりする?)仇役の伴侶を好きになっていて、権威批判の裏付け(結末に至るまでに散っていった連中への感謝はどうしたよ的なシーン。もっとも主人公の境遇すべてを引っ括めての裏打ちかもしれない)が薄いように感じた。このあたりを踏まえると地獄のようなニューヨークに君臨するボスの描写がとても好き。ほんとうの意味の自由だと思う。いい感じのリズムを奏でる曲と共にマッドマックス的な飾り付けのなされたキャデラック(じゃないかもしれない。アメ車よく知らない)がスルスル出てくるシーンが妙に印象に残っていて、今でも時々思い出す。

*1:「上級曹長」という階級はドイツ国防軍には無いと思う。階級章の説明を読むと曹長が対応するっぽいが、この階級章の扱いも国防軍の制服と考えると不合理な感じで、武装 SS が戦争後半に使っていた迷彩柄の戦闘服で迷彩を迷彩として使うための記章と思しき内容になっている。しかし当該人物は文脈からいうと国防軍所属だと思われ、仮に SS だとしても戦闘要員ではないはず、つまり迷彩服は支給されていないのではなかろうか

*2:兵科色と兵科の対応もなんだか奇妙。しかしこれは主人公が自分の境遇を如何にわかってないかの説明として効果的か

読んだり観たりしたもの (2025-01)

読んだもの

星の王子さま (角川文庫)
子供の正直な世界が地獄を内包するのと同様に大人も地獄をみている。しかし大人を大人としてカリカチュアに描きすぎているのではと思わなくもない。子供のころにこういった物語を読んでも特に何も思わなかったのではないかと感じ、そういう意味では今この時分に読めてよかった。

コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版
面白かった。モノの世界を隔てていたコストがハコを主体としたシステムで圧縮され、この圧縮度合いにはスケールメリットがあるので巨大資本がだいたいシステムを握っちゃった。いっぽうでモノの世界が縮んだことで「グローバル」な物流や商流も形跡できた。効率化の影には「仕事」の労働化ひいては最適化が進む側面もあるわけで、システムというのは最大多数の最大幸福というところに落ち着くのかもしれない。
ところでモノのロジスティクスとしてのコンテナというやつのイノベーションの流れ(規格化、スケールメリットの拡大、巨大資本による掌握と効率化)というのはコンピュータ業界の OCI コンテナも同じように韻を踏んでいるようでそういった意味での面白さもあった。

青春えれじい 解放区篇
『水曜日は働かない』由来。これも中々面白かった。しかし雇用の流動性の低い環境は居たくないなとは思ってしまった。「共同幻想」の強い環境には居たくない、とも言えるか。最後の章で主人公の名を借りたと思しき著者の総括をせんが為の物語的な積み上げなのだったのではなかろうか。曰く、闘争を続ける中でも時代は移り文化も進みテクノロジーも変わる。労働に闘争が有り得た(と書くのが間違いならば手段として有効だったと言ってもよい)時代の鎮魂の物語だと思った。『安田講堂1968-1969』と同じような読後感だった。

ヤンキーと地元 ――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち (ちくま文庫)
パシリについての理論化と役割の分析を試みた大変有意義な一冊。という一文では無味乾燥なのだが。読んでていろいろと苦痛ではあった。身につまされる視点やらがあった為だ。

シミュラークルとシミュレーション (叢書・ウニベルシタス 136)
読んだなあ、という感想しかない。現実の模倣(シミュラークル)と演習(シミュレーション)が現実を超越(ハイパーリアル)した空間情報量をもつようになり、現実は意味を情報量の尺度として備えていたがハイパーリアルは意味を吹き飛ばしてエントロピー的な効能だけの情報量になっちゃった、とかそんな感じか? ホントに?

33年後のなんとなく、クリスタル (河出文庫 た 8-9)
もうクリスタルとか言ってられない状況になってしまったね。
もとクリは註が本文の対訳のような効果を果たしていたように思うのだが(見開きもそういう意図だと思っていたが利便性の意味合いしかなった様子)、いまクリでは註は註以上の役目を果たせなかったようで。註というよりは筆者のポートフォリオのようになっていたように思う。
閉塞感の中を絶望せずにやるべきことをやっていきましょうよ、こういった態度は好きだ。態度自体は好きだが、実際にそれを要求されてしまうと私は駄目だ。

うんこの博物学: 糞尿から見る人類の文化と歴史
最高。半年位積んでいたのだが、もっと早く読んでおくべきだった。終始笑いながら読んでいた。ほとんどデカダンニヒリズムな調子なのに神秘的だったり破壊的だったりな内容を行ったり来たり。扱う範囲も縦横無尽。「博物学」の名前に負けていない。

普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究
読んでて落ち込んできた。ムチャクチャだ。かつての 2ch も実際はこういった感じだったんだろうか。時代がそうさせたのか?

2025-02-04 追記

読んでいたときの覚え書きが別途あった。すこしいじって加筆:
尖ったもの勝ちみたいな世界観がインターネットに留まらずリアルにも及んでいて、まあインターネットはリアルだもんな、もはや。言動と行動とがフィードバックループを成してどんどん先鋭化してゆくのは政争の歴史の韻を踏んでいるようにも思う。本文中にもあったが、先鋭化してゆく中で理論の構築がなされず先鋭化の過程でポンポン出てきた象徴が先鋭化を更にもたらすといった構図で、醜さのようなものの要因がここにもあると思う。2ch でもそうだったのだろうかと思ったがよく考えると旧き 2ch の文化でも実力行使(= 今の文脈でいう先鋭化)の側面もあればクソスレの塊みたいな文化もあり、chan 文化や Tumblr も色々な側面があるようには思う。それら全体を文化史的に扱ったり、ましてやそれら全体をひっくるめて何らかの結論を出したりするのが本書の主題ではないのはその通りで、先鋭化し醜く残酷になりリアルになってゆく当該文化の側面を活写したのが本書ということになるだろう。

観たやつ

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン (字幕版)
淋しさは力を産むこともあり、力を実現する為に採った手段は嘘だった。嘘により作られた世界は嘘を維持しないと崩壊してしまう。嘘を維持するために身に付けた本物の技術が現実を豊かにしてくれてよかったね。

ニンフォマニアック Vol. 1【ディレクターズ・カット完全版】

2025-02-04 追記

Vol.1 まで観たときの覚え書きが別にあった。すこしいじって加筆:

中々面白かった。註釈を加えてくる老人が良い角度からの差し込みをしてくる。笑ってしまう。バッハとポリフォニーとフィボナッチ数でオタク語りをしてくるので毎度そこで笑ってしまう。説明的な場面の描写にもキレの良さを感じた。しかし長い、これだけは苦痛だった。


ニンフォマニアック Vol. 2【ディレクターズ・カット完全版】
ラスト5分まではかなり良くて、ラスト5分くらいでドン底に叩き落とされた、最悪の鑑賞体験だった。註釈を加えてくる老人の視点が良い角度からの差し込みしかなく大体の話題をバッハとポリフォニーとフィボナッチ数でかっさらってゆくのには笑ってしまった。バッハとポリフォニーとフィボナッチ数で取り扱えない話題には狼狽し言葉を探し時には逃げたりションボリし、ひとまずは出来る範囲で向き合おうという態度で臨んでいたんだなあ、と思えていたのはラスト5分までで、そこからはもう、ドンデン返し、いたたまれない、結局それかよ、という感じ。

2025-02-04 追記

上記は Vol.1 と Vol.2 を通して観ての感想。そうした際の覚え書きが別にあったのだが、上記文章を書いている間は心象の問題でそれをそのまま転載できなかった。
別にそっちを使ってもよいかと思うようになってきたので、そうする:

Vol.2 ド頭でアンタ何も聞いてないでしょと主人公から話相手の老人がツッコまれる展開で笑ってしまった。そして Vol.2 に進むにつれて物語はどんどん深刻になり、老人の差し込みも効力を失ってゆく。なんだかんだで物語としては清算が済み悲劇としての幕が下りたというところで老人が主人公を犯そうとしやがり、悲劇が一気に喜劇(笑劇という意味ではない。『人間失格』がラストの京橋のマダムの独白で悲劇から喜劇になってしまったのと同じ意味合い)と化してしまい、このラストのせいで最悪な映画という心象をもった。
何故最悪かというに、老人の主人公への差し込みはコミュニケーション不全な状況下で主人公を口説こうとしたものでしかなくなっちゃった為だ。老人自体たぶん Vol.1 の時点では手応えのようなものを当人感じていらっしゃったのではないかと思う。主人公が語った内容に差し込みが出来ていたという意味においてのみの手応えだ。Vol.2 になってから主人公の語りに老人は追い付けなくなり、差し込めなくもなり、口説くのに失敗した。口説けなかったので、俺もお前を散々抱いてきた男のひとりになってやると無茶をやり、射殺される。ラストで明らかになったのは童貞老人が道端でボロボロの女を拾ったのであわよくば一発ヤリてえと思いつつ介抱し口説く(といいつつ女の凄絶な話に註釈以上の内容が無い反応をするだけ。そう、話を聞くだけなのだ)様を合計5時間程観ていたことがわかるというものだ。
観たあとドン底まで落ち込んだ。主人公の語る内容がこの映画を良作としている。結果としては面白い映画なのだが、ひどく打ちのめされる映画でもあった。


オッペンハイマー
やっぱりフォン・ノイマンが出ていてほしかった。

読んだり観たりしたもの (2024-12)

読んだもの

反逆の神話〔新版〕 「反体制」はカネになる (ハヤカワ文庫NF)
お前達が敵視したり逃避したりしたかった「体制」はお前らが採った手段に比べて決して劣るものではなかったね、結局お前らの思想は思想のレベルでしかなくて何かを解決するような地に根の張ったものではなかったね、みんなそれに気付かなかったか気付いていない振りをしていたのは、ンフフ、まあそれはそれとして現実に即した最適解を見出そうじゃないか、そんな感じ。思想のほうを優先しすぎて現実のほうをアンポンタンにしてしまうのはなんだか普遍性があって笑えなかった。

新装版 なんとなく、クリスタル (河出文庫)
本文と註との関係はまあ対訳みたいなもんではないかなと思った。註が和文で本文が外文だ。本文が外文のように感じるのは読み手(わたし)が本文の文化的風土の外に居るからだ。
最後のデータはオーウェルの『1984年』でいうニュースピークの文法解説みたいなもので、主人公がラストで浮かべた上品な婦人のように主人公「は」成れるかもしれないが、他は駄目だろう、というニュアンスが有ると読んだ。今の情勢がどういった回答を与えたかは知らないが、こういうソフィスティケートされた生活は今でも有るような感じはする。裾野は減ったのかもだが。手に入るモノとそこにくっついてくるブランドは変わっただろうが、そういったことを意識して評価して体感する階層とそこに追随する階層という構図は、クリスタルがどうこうという当時と今でも然程は変わっていないと思う。

サーキット・スイッチャー (ハヤカワ文庫JA)
面白かった。モチーフが解るというのは良いものだ。NTP サーバは独立かつ自律的に運営されているものを使おうと思った。

観たもの

羊たちの沈黙
小林源文あたりの漫画でよく目にする四連の看板の元ネタっぽいものが知れてよかった。

ハンニバル (字幕版)
今回観たハンニバル系映画のやつでは一番好き。初っ端のゴルトベルク変奏曲に合わせてのカットアップでやられてしまった。映像もいちいちキモくて最高だった。

レッド・ドラゴン (字幕版)
レイフ・ファインズの怖いときの顔が『シンドラーのリスト』のアーモン・ゲート役のときのそれと全く同じで怖かった。

ドクター・スリープ(字幕版)
『シャイニング』のオマージュのシーンで逐次笑ってしまって忙しかった。真面目に観れなかった。息を吸い取る屍者みたいなのは印度哲学感があった。

チャイナタウン [Blu-ray]
タバコモクモク映画。中国人街がカオスと不条理の代名詞になっていたように思うが、その意味合いが活きてくる場面はそんなに無かった。

ビッグ・リボウスキ [Blu-ray]
大好き。今年観た映画の中でいちばん好き。彼らにとってのボウリングのようなものが俺にも欲しい。

読んだもの (2024-11)

手をつけた本が案外重たかったり延々ウエルベックを読み返していたりしていたせいで今月はあまり新たな本を読めていない。

水曜日は働かない (ホーム社)
俺も絶対に京都で暮らしたい。嵯峨か西陣のあたりで暮らしたい。旅行で京都をブラブラしていた記憶が鮮やかに甦ってきてたまらない気持ちになった。京都云々は収録されているエッセーのひとつでしかないのだが、このエッセーだけで気分が高揚してしまった。

読んだり観たりしたもの (2024-10)

パソコンカタカタが可能な環境から離れてしまったが為にいつもとタイミングが異なる。ロスタイムで何かが増えた訳でもない。その意味で正直な記録ではある。

読んだもの

戦争論 (下) (中公文庫 B 14-2 BIBLIO S)
いやあ読み切ったなあ、という達成感だけがある。それだけ。

「空気」の研究 (文春文庫)
舶来の思想を切り貼りツギハギして新たな思想を編み出す本邦のやりかたで元々の内容が骨抜きにされてゆくのを雨で腐る等と表現しているあたり、遠藤周作の『沈黙』に近いしいものを感じた。どちらが先行しているのかは知らない。

ノー・カントリー・フォー・オールド・メン (ハヤカワepi文庫 マ 1-6 epi108)
映画を観たので原作もということで。面白かった。一気に読み上げてしまった。
映画がほぼ原作通りだったのでその方面でまず感動した。シガーは映画よりも小説のほうがより瞑想的で、メキシカンマフィアも小説のほうが暴力的、保安官も小説のほうがより打ちのめされている。救いは無い。
シガーの思弁的殺人に巻き込まれず(別の方向で退場してしまったが)に済んだということで主人公が唯一の死神に対する勝者なのかもしれない。そうなると保安官も勝者なのだが、彼は理解も対処も助力も出来ない現実には敗者であって、敗者と化す最後の一押しがシガーの存在と主人公の死なのだった。なのでシガーに対しても敗者なのかもしれない。

エロチック街道(新潮文庫)
ジャズ大名』が読みたくて。これは大変よかった。他はちょっと合わなかった。

最暗黒の東京 (講談社学術文庫)
なんというか、まあそんなもんだよねという感じだった。『東京の下層社会』を先に読んでしまった為のこの感想だと思う。

ふるさとは貧民窟なりき (ちくま文庫)
スラムを扱う既存のルポルタージュに対しての階級制度的な認識をスラムで育ってきた著者の視点から実体験を踏まえて批判することにこの本の瑞々しい(語弊のある形容だ)魅力がある。ただしスラムの中では強者の側、市民権のあった立場からの視点ではないかと感じ、そうでない立場の場合に果たして同じような視点をとれるだろうか。いっぽうで省察や記述は強者の立場にあることで初めて可能になるだろうし、『きけ わだつみのこえ』と同じような課題を抱えた本だとも思う。

観たもの

ベルリン・天使の詩【4Kレストア版】 [Blu-ray]
ヒトラー 〜最期の12日間〜』を観たころからの課題映画だった。"PERFECT DAYS" と同じようなテーマを40年前に既にやっていたのね。これとの違いは主人公にコミュニケーションに飢えさせた事と舞台の歴史に目を向けさせた事とか。突然画面に SS 将校がいっぱい出てきてアレッそういう映画だったっけと焦ったのだが、これは劇中劇だったようで。この描写も「舞台の歴史」ではあるか。

読んだもの (2024-09)

戦争論〈上〉 (中公文庫)
実は課題図書だったのだが、おいそれと手を出してよいものではなかった。いま下巻を読んでいるが、遅々として進まない。
現代的意義が無いものはたとえ歴史的に明察であったとしても打ち捨てたほうがよいみたいなことが有って、はたしてこの本はどうなのだろう。現代的意義がまったく無いわけでは思うが。上巻の範囲ではこのへんの感想を書くのは尚早かしら。

トニオ・クレーガー (光文社古典新訳文庫)
秒速5センチメートル』のラストみたいな内容が延々続くという恐しい前評判を友人から教わり恐怖しながら読んだ。そんなわけではなった。
『秒速〜』ではかつて二人だけの世界だったものが成長と風化によって崩壊することですれ違いに至るが、この物語では自分が世界に馴染めないことに由来する自身の逸脱、特殊性、そこに軸を置いた自意識が崩壊することで生じる、自分と自意識とのすれ違いだ。決別と言ってもよいかもしれない。

若きウェルテルの悩み (岩波文庫 赤 405-1)
課題図書。読み終えてなんだがひどく落ち込んだ。読んでいる間は文体が酷く読み辛えなと思っていたので、感情に作用するものとは自分でも思ってもみておらず、意外だった。手に入らないものは手に入らないし思い通りにならないものもまた然りという態度を私は取りがちであって、ウェルテルのような激情とは距離があるはず、それなのに読んで落ち込んだということは、たぶん私は実は諸々を諦めたくなんてないのだろう。

読んだり観たりしたやつ (2024-08)

読んだやつ

カンガルー日和 (講談社文庫)
羊男が出てくるやつが好き。

9/3 追記;まだあったのを思い出した

男はなぜ孤独死するのか
孤独死というよりは孤独によって死にがちなのは何故かということを扱ったものと読んだ。自分以外の存在(これは他者というだけでなく動物や自然やその他諸々、外界と言ってもよいかもしれない)を軽く見過ぎなのが男で、加齢にしたがいその軽く見てきた有象無象が牙を剥く。正確には牙を剥くどころではなく、何もされない。そう、何もされないのだ。無関心は無関心によって攻撃されるか。軽く見過ぎた物の代替として何を獲得するかといえば仮想(imaginary も virtual も含みます)のもので、仮想のものはだいたい仮想に終わる。大変身につまされながら読んだ。読んだあと本棚に仕舞うのも忘れて、本を抱えてしばらくオロオロしていた。

観たやつ

アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲 (吹替版)
iPhone を脱獄すると爆殺される世界でノキアiPhone を爆破して勝利する。最高だった。ナチスどこいったんだと思ったが、初代があまりにもきちんとナチス(というより SS)をやっていたほうが奇跡なのだろう。

ノーカントリー (字幕版)
もうずっとカラッカラに乾いている。ダクトテープと糸鋸とアスピリンで大体の課題を解決してゆくが、限界もある。戦争なので人がどんどん死んでゆく。狂気は反省もしないし、買収もされない。狼狽もしない。狂気は概念だからだが、この映画では狂気は受肉しているので、散弾銃で撃たれて負傷する。しかし狂気なので自分で手当てする。

セブン (字幕版)
ずっと雨が降ってて可哀想。ずっと陰惨で可哀想。ブラッド・ピットが泣く映画ということで観たのだが、特に矛盾なく泣くので、自然な(連続な?)泣きだった。
追記:これ前にも観てここになんらか書いた気がしてきた

怒り
怒りにも様々なものがある。様々なものに由来する。曰く、無力感、疎外感、理解されなさ、諦め、呆れ、侮蔑。間の当たりにしている現実と自身に出来ることとのギャップに対する反応のひとつといっても良かろう。ギャップに対し共感性を持ってくれる他者が入れば怒りはコミュニケーションの中で別ものに昇華し、そうでなければ先鋭化し、破裂する。昇華も破裂も、結果として怒りを抱いた当人の幸福になるか否かは別の問題で、怒りは動機でしかなく、結果ではない。

日本で一番悪い奴ら
案外普通だった。取締る対象を自ら手配して自ら摘発するの、ペイするのだろうか。しないから没落してゆくのだろうな。たけきものもつひにはほろびぬ。