読んだもの
死にゆく人の死への態度についての考察。とても面白かった。理解と納得の違いを意識させられた。
読み終えるのに半年くらいかかったんじゃないかと思う。V2 からよくもまあここまで題材を拡げたものだ……。何度か読んではじめて物語が繋がる云々と解説にはあったが、ちょっとこれを再読する体力はもう残っていない。『慈しみの女神たち』が霞んでしまうくらいに濃い、濃いっていうか、なんなんだろうこれは? 混沌としか言い様がない。
観たもの
役所広司がすごい頑張ってた。それだけ。
死にゆく人の死への態度についての考察。とても面白かった。理解と納得の違いを意識させられた。
読み終えるのに半年くらいかかったんじゃないかと思う。V2 からよくもまあここまで題材を拡げたものだ……。何度か読んではじめて物語が繋がる云々と解説にはあったが、ちょっとこれを再読する体力はもう残っていない。『慈しみの女神たち』が霞んでしまうくらいに濃い、濃いっていうか、なんなんだろうこれは? 混沌としか言い様がない。
役所広司がすごい頑張ってた。それだけ。
少々私的な理由があって読んだ。すこし前に小旅行に出掛け、戻ってからもアタマは旅先に残ったままでカラダだけが家に戻ってきてしまったという状態になりとても苦しい思いをし、これが「移動祝祭日」なのではないかと思ったというもの(ボカしすぎてて何のこっちゃという感じだ)。
わたしのは小旅行であってヘミングウェイのは生活だった。態度も思い入れも違いすぎて参考にならなかった。晩年になってパリの頃を思い返すことで祝祭の趣が強くなったのではないかと思った。わたしの小旅行もそうなるといいな。
10年くらい前の自分をブン殴ってでも無理矢理読ませておきたかった程度にはもっと早く読むべき、出会うのが遅すぎたと思った。しかし10年前に読んだとしてこの物語を楽しめただろうか? あまり自信はない。
村上龍感がでてきてちょっとビックリした。これもおおむね上と同じ感想。
村上春樹の初期三部作を一気に読み通しまして、とてもよい休日でした
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年10月10日
色街は耐用年数を過ぎたらしい。しかしそれを歴史の一幕というだけで片付けるには沖縄は、そのまわりの群島は、傷を負いすぎた。今もなお続く時代の記録。
ウエルベックだったら完全なるバッドエンドになって主人公は自殺を選ぶなと思った。ここまで読んで確かにウエルベックは村上春樹の影響を受けていると納得できた。それまでは村上龍っぽくないかなと思っていた。
調子を崩して書くのが遅くなってしまった。遅くなってしまった割には特に読む量は増えていない。
モービィ・ディックはデカくて恐ろしい。それを書かんとする為の怒涛の文字量だったのではと思った。『オン・ザ・ロード』を読んでて思ったが一時期迄の(というよりある種のジャンルの?)アメリカ文学においてはデカくて恐ろしいものについてひたすらペンを取っているな印象があり、その筆頭が北米大陸なのではと感じている。モービィ・ディックも鯨の形をとった北米大陸ではないのかしらと思った。
良かった。読みやすかった。後書きを読んでて始めて気付いたが、読み易くて気持ちの悪いこの感じは本邦でいうと米澤穂信だ。
江戸川を渡ったら下総国から武蔵国?隅田川はどこにいった?(確か隅田川以東が武蔵国に入ったのってけっこう最近ではなかったかしら)という程度の知識しかない状態で読むと痛い目をみるということがわかった。京に戻ってから以後のところはボンヤリ読み飛ばしてしまって申し訳のない気分になった。解説を読んでやっと書いてあることがわかったという程度の教養しかないのだ。
ドイツの戦後は終わらない。終われない。Sturnbannfuehrer を SS 少佐とせず SS 大隊指導者としているのは法学寄りの歴史を意識しているからかしらと思っていたが、当人の所属が武装 SS じゃなくて一般 SS だったことを示しているのかと今ふと思った(以上付け焼刃の知識)。とにかくよい語り口だった。
友人に勧められて読んだ。海客の人々が呉軍港空襲の生き残りだったり安田講堂からの脱出組だったりで読んでて気持ち良くなってしまった。主人公の「とにかく家に帰るんだ」みたいなのは『ハンスの帰還』っぽく、90年代はこういうテーマが強かった時代だったのだろうか。
前から読みたいと思っていたもの。『月の影〜』の安田講堂から脱出した海客のエピソードで気持良くなってしまい、とうとう手を出すことにした。
学生たちの左翼思想は抑圧に対しての反抗の為の理論で、郷土愛的な愛国心とは共存できるという考えはなんだか意外だった。強権的な体制へのカウンターとしての闘争であった、というのが当事者(のうちのひとり)の見解で、戦争に負けても何も変わらなかったものは学生達の反乱でも何も変わらず、むなしい。何も変わらなかった、というのは後世の貧弱な視点からの感想であり、何かを変えるつもりだった当事者の意志にくらべれば塵のように吹き飛んでしまうものだ。
だいたい知ってる内容だったので読んでて復習をしている気分になった。しかし語りが非常に巧みで全く退屈せず、面白い。とにかくチェコとスロバキアへの愛が溢れ出ている。批評パートはとくに良く、とりわけ『慈しみの女神たち』評は最高で、この作者のことを一発で好きになってしまった。
"HHhH" を読んでいて「『慈しみの女神たち』は「ナチにおけるウエルベック」なのだ」という一節があってウケてしまい大好きになっちゃった
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年8月9日
崩壊寸前の都市の行政はどこもかしこも似たようなものになるようだ。崩壊寸前の都市に暮らす市井の人々の振舞いにこそ個性が出る。
『責任という虚構』に影響されて。カネの存立には具体的な根拠などなく、未来永劫にわたる信用への期待にもとづくものなのだ、というものと読んだ。もし今後マルクスを読む機会があったら副読本として手元に置いておくと便利そうだと思った。
便利な道具はその存立に根拠がなくても慣習が機能していれば不便なく使うことができる。
ドッカーをちゃんとやるために『白鯨』を読み始めました
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年6月19日
いつだか読んだ『生まれてこないほうが良かったのか?』はこれのついでに読むつもりのものだった。良いフレーズがいくつもあったが読み終えたらどこに何があったか全部忘れた。付箋を貼るようなものでもないと思われ、とにかくこの本を読めば良いフレーズが得られるという軟派な印象を残しておくに留めようと思う。
先生とうとう行きつくところまで行ってしまったか。ウエルベック第一部完、という感じをうけた。今までの物語で提示してきた救済や指針はここでは一切なく、とうとう「絶望」それ自体に足を踏み入れてしまった。過去の作品において救済が失われた人々は割合手早く自殺を選んだが、この物語の主人公は自分を見つめ切って、ある種の清算をし切ってから自殺を選んだ。思想の清算が主人公の清算として現れたのだろうか。極上の陰惨だった。『セロトニン』の文庫化をずっと待ってたのについ手が滑って既刊の単行本を買ってしまった
— 之貞 (@ngsksdt) 2021年6月8日
とても面白かった。罪に対して罰をなすのではなく、罰することで罪を解決する、という視点は新鮮だった。責任を負う主体や自由意志というものは虚構で、ゆえに「責任」とはサンクションに足り得ず、罰の象徴たる生贄として存在する。『統治と功利』を読んでいたときにも思ったが、論理や背景知識についてゆけない面は多々あれど、このあたりのジャンル(法哲学になるのか?)は考察の内容がとても興味深い。不勉強なため肉付けの検証が自力ではできないのがとても悲しい。
反出生主義の解説から反論そして今後の理論の発展や展望などを扱うとても面白い本。新しい分野の開拓という雰囲気がそこかしこに感じられ、読んでてワクワクした。印度哲学がとてもプラグマティックで興味深いものがあった。反出生主義のブームはよくわからないが、単なる絶望のミームとしてそれを捉えるよりは、如何様にして肯定 / 否定ができるか、何を見出し、どう考えてゆくかといった方向に舵をきってゆけるとよいなと思った。
中身のない絶望は救われず、なにより面白くないのだということがここまで歳をくうことでようやくわかってきた感じがある。しかし救われず面白くないと言われたところで絶望の当事者としてはそんなこと知ったこっちゃなく、絶望でしかない。もはやこの本の感想でもなんでもないが、そこへの答案は『斜陽』があると私的には思っている。
『責任という虚構』で参照されていたので。そこかしこのキーワードが古く時代を感じさせるが、内容はまったく古びていない。この本じたいの権威性を受け入れてしまいたくなるが、それはこの本の目指すべきところではなく、難しい。
ヒスった人間はこわい。「ヤクザの本質は暴力」云々というウシジマくんの一節を思い起こさせる映画だった。
なんとも微妙だったが観た人間のほうに問題がある。ゲイリー・オールドマンが老けていて衝撃を受けた。『レオン』の怪演のイメージしかなかったが、時期を考えれば老化するよな……。
これもしかしたら過去に観て書いたかも。覚えてない。検索性の悪いこのブログである。でも書く。アイデア勝負で面白いなあと思った。
家族と和解する道を選んだ『グラン・トリノ』といった感じ。北野武でいう『ソナチネ』がクリント・イーストウッドでいう『グラン・トリノ』だったのだろう。
よかった。ぜんぶうまくいった『カンティード』っぽい。