``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたもの (2020-01)

読んだもの

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)
確かにまだ我々はこちら側にいる。あちら側はちょっと生きづらそうだな。

遮光 (新潮文庫)
主人公が怖い。

銃 (河出文庫)
あっ、撃っちゃうんだ、そんで撃とうとしちゃうんだ、と思った。表題作ではないほうは『ボラード病』のような雰囲気で怖かった。

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)
そんなもんか……と感じて読み終えてしまったわたしを許してください。

文庫 技術者たちの敗戦 (草思社文庫)
戦争末期から敗戦に焦点をあてて技術者たちがどうあがいたのかを描いたものだとひとり合点してたが別にそういう訳でもなくもっと幅の広い時間軸で技術者を扱っていた。『風立ちぬ』にほんのちょっと触れられていたのは意外だった。

第二次世界大戦外交史(上) (岩波文庫)
とても複雑なゲームだと思った。

観たもの

デス・プルーフ in グラインドハウス (字幕版)
キル・ビルセルフパロディっぽく感じた。妙に刺さって2週間くらいずっと観続けていた。

The King of Comedy (字幕版)
無敵の人が2人も出てくると疲れる。一夜だけでも王になりたいという気持ちには哀愁がただよう。

スタンド・バイ・ミー  (字幕版)   
バットで郵便受けを破壊されたら嫌だな。

冷たい熱帯魚


眼鏡がなくなって以降、社森は村田を受け継ぎ暴力を身に付けた。だが付け焼刃の暴力は社森を壊してしまった。暴力は強力だ。
暴力によって出すことのできた愚痴のようなメッセージは『バトル・ロワイアル』のオマージュな感じがある。それに対する娘の返答は斬新で、キタノシオリのそれとは似ても似つかない。

読んだり観たりしたもの (2019-12)

読んだもの

吉里吉里人(下) (新潮文庫)
みんな死ぬエンドでちょっと寂しかった。『愛と幻想のファシズム』で前に進めることができた村上龍はすごいんだなあと思った。方向性が違うとはいえども。

女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)
弱者とそれをみつめる超越者(という書き方が適切とは思えない。でも神ではないよね)とを書かせたらこの人はすごい。

女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)
登場人物が全員十字架を背負ったり背負わされたりしている。隅田川を日本のペニスとうそぶく文科の学生が少尉殿になった後に命を賭して詩人になったのは『きけわだつみの声』のような感じがしてすごく好き。

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)
文庫化まってました。ありがとうございます。クメール・ルージュの行動よりもロベーブレソンの住人のほうがエキセントリックすぎてなにもわからなくなってしまった。そういう住人でも人間なので各人の理屈で動くし銃で撃たれれば死ぬ。

ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)
ちょっと綺麗すぎるオチかもしれない。だが綺麗なオチであることこそが彼らのゲームのアガりなのかもしれない。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
高校生のころ河合塾の現代文の参考書で読んで以来のもの。ようやく消化できた。学生の世間話に内ゲバがでてくるのすごい。

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
親友の死で現実から距離を置き、恋人の死で現実に向き合おうと一歩を踏み出す、その瞬間まで。葬式にかかる一連の流れがとても好き。

観たもの

君の名は。
これ解説してもらいながら観たのに酩酊してたせいでよく覚えていない。穀物を発酵させるとアルコールになるという基本的なことを思い出させてくれた。

ディア・ハンター (字幕版)
メチャクチャになるサイゴンを観たかったのだが、都市がメチャクチャになるのを観たいのならもっと別の映画をあたるべきだなと思った。賭場を仕切っているダークスーツのひとがかっこいい。

読んだり観たりしたもの (2019-11)

ハイ・ライズ (創元SF文庫)
『慈しみの女神たち』のスターリングラードあたりのエピソードが思い起こされた。
俺たちの暴力に外野は指一本触れさせん。密室で醸造された野蛮。

吉里吉里人(上) (新潮文庫)
仁義なき戦いを』観たあと広島弁が頭を離れなくなるように吉里吉里語が頭にこびりつくのだった。

吉里吉里人(中) (新潮文庫)
『虚航船団』っぽくなってきた。

読んだり観たりしたもの (2019-10)

今月前半は本棚から本を引っ張り出して読むということを続けていた。だいたい坂口安吾を読んでいた。『不良少年とキリスト』と『白痴』は何度読んでもよい。
でも結局以下のようになった。


観たもの

アヴァロン
ソ連戦車にはどうしてかこう人間をメチャクチャに引き潰して嬲るみたいなイメージがある。この映画でもそんな印象。

読んだもの

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)
『二流の人』が収録されていたので買った。でも読んでみたら『道鏡』のほうがよかった。
戦争がおわって文学をはじめる時に歴史に立脚しようと思ったのだろうか。

魂の駆動体 (ハヤカワ文庫JA)
買ったものと表紙が違う。読んでてゾワーッと鳥肌が立って多幸感に包まれる物語を久し振りに味わった。
ものをつくるのは楽しい。計画を立てるのは楽しい。楽しいことには魂が宿る。

『鳥は重力に抗って飛ぶのではない』についての感想

これで以下のように書いた:

ただテーマありきで文章を綴っているような印象が多々あり、『風立ちぬ』の批評についてはテーマにすりよせすぎている感があった。

これに続けてポロポロと印象を書いたが、もっとちゃんとわたし自身が得た感想を書いておくべきと思ったので記す。
『母性のディストピア I 接触篇』第3部『宮崎駿と「母性のユートピア」』を読んでいた際に書いたメモ(とは名ばかりで2日間分の日記)を基にしている。



注:
以下は『風立ちぬ』評である『鳥は重力に抗って飛ぶのではない』を読む前の内容

昨日から『母性のディストピア』という本を読んでいる。宮崎駿評があった。曰く『紅の豚』以降は少年像を代弁する少女の姿は失せ、男性性を支えて包む母たる女の役柄のキャラクタにシフトしていった。宮崎駿の描く「少年」は母の支えがあって始めて飛ぶことができる。この理屈から『風立ちぬ』を考えてみたい。
まず二郎は飛ばない。飛ぼうとはしたけれど挫折した。燃えて崩れて揉まれて奈緒子と出会う。忘れる。飛ぶものを作る段になり奈緒子と再開、奈緒子の「支え」により二郎は飛ぶものを作った。奈緒子は無くなり、作り出したものは破滅をもたらした。それでも奈緒子は生きろという。オワリ。
『母性のディストピア』の論理では奈緒子は死なので少女ではなく母たる女だ。ただ母の支えがあっても二郎は飛んでいない。二郎は飛ぶことそのものではなく、飛ぶものを下から見上げたり上から見下ろすばかりだ。自身が飛ぶのではなく、自身の夢を飛ばすものをつくっている。
この物語の中で母性のあるものとは二郎の母くらいしかいないのではと思う。抱擁する母もいないし立ち向かう父もいない。『もののけ姫』あたりまで『風立ちぬ』は論点を戻してしまっているのかもしれない。
風立ちぬ』は虚構ではなく現実(『母性のディストピア』でこれを表現する言葉が使われていたが忘れた)に近い立場から物語が描かれている。現実を触るとき宮崎駿は「生きろ」という。自分は生きねばならぬということをハナから信じてもいないのに。
二郎を包んでいた「母」とは美しさという概念であり、飛行機という「夢」なのかもしれないなと思った。二郎がみていたものは虚構だったのか。虚構に包まれ、美に飛び、国も愛するものも破滅させた。単なるニヒリストっぽい。



注:
以下は上の内容を書いた次の日に書いたもので、『風立ちぬ』評である『鳥は重力に抗って飛ぶのではない』を読んだ後の内容

『母性のディストピア宮崎駿章の『風立ちぬ』評は昨日の日記とは全然違った内容だった。
しかしカプロニを平和の側とみなして二郎のマチズモ指向とやらと対比するのは乱暴だ。カプロニは自身のそして二郎の夢をハッキリと呪われたものと評している。カプロニ初登場のシーンも「敵の街を焼きに行く」爆撃機の風景だし、家族やら職工の一族やらを乗せた大型機も爆撃機だ。
二郎の対立軸としてカプロニを置くのはズレでいて、やはり二郎がカプロニによって魅せられた「夢」にどう向き合うか、向き合ってきたか、向き合った結果どうなったかを描いた物語が『風立ちぬ』なのだと思う。奈緒子がその美しい時だけを二郎に観せることで母性の象徴となったというのは「美しい時」が宮崎駿の物語の中で「母」を示すものでは必ずしもないのではとも思う、が、母性の要素ではあったことは正しそう。



上の内容を踏まえて改めて『母性のディストピア』を読み直した結果、二郎は奈緒子の母性に因って飛んだのかという点については肯定ができそうだと思い直した。
二郎は美しい飛行機という夢が飛翔することで自身も飛ぶことができ、奈緒子に再会するまでは飛んでも墜落していたが奈緒子の支えによって悠々と飛び続けることができるようになった、という解釈ができるように思えた為だ。

カプロニと二郎については一方で上の内容から変化がない。二郎の抱いていた美しい夢は先人であるカプロニ曰く呪われた夢であり、カプロニはそれでも呪われた夢を目指すことを選んだ。二郎は呪われた夢を追うことには回答せず、ただ美しい飛行機を作るのだと答える。
かくてその美しい飛行機は奈緒子を死に誘い、国を滅ぼした。美しい飛行機達は一機も二郎の許に還ってくることはなく、空の彼方に消えた。
呪いによってズタズタにされた二郎はそれでも生きねばならない。

二郎が飛ぶことができるようになった帰結が奈緒子の死、国の滅亡、かつて抱いた夢が空の彼方に行ったきりとなる絶望という帰結になり、それでも生きろと言われるという破滅の物語であるという私的な解釈には、やはり以下から得に変化はない:

風立ちぬ』は母性のディストピアであるし、美麗な夢のディストピアでもある。

読んだり観たりしたもの (2019-09)

読んだもの

母性のディストピア I 接触篇 (ハヤカワ文庫JA)
母性のディストピア II 発動篇 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-3)
とても面白かった。取り上げられているアニメ作家でマトモに観たことがあるのは宮崎駿くらいしかないので他二者についてはそうなんだと思う程度にしかならなかったのは残念だが。
ただテーマありきで文章を綴っているような印象が多々あり、『風立ちぬ』の批評についてはテーマにすりよせすぎている感があった。カプロニ伯爵は平和の側に立つ者ではないし、二郎はそもそも飛んではいない、など。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
シミュレーションがシミュレーションでおわってしまいカタストロフが起きてしまった。

観たもの

ジャンゴ 繋がれざる者 (字幕版)
なんとなく観たら好きになってしまった。なぜかここ最近はこれを毎週1回は観ている。
多言語話者が言葉をクルクルと変えているのを見るのが好き。

レザボア・ドッグス(字幕版)
雑談シーンが長すぎてこれずっと続くのかなと不安になった。『デス・プルーフ』も観たいんだけどこれ以上に雑談シーンがあるみたいな様子なのでこわい。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド オリジナル・サウンドトラック
映画館で観た。フィクションが持つ力に全幅の信頼を置いていることが伝わる映画だった。ここまで信頼できるとフィクションはとても強力になる。

橋 [DVD]
友軍を殺しすぎてて恐しい。

読んだり見たりしたもの (2019-08)

8月31日は宿酔で一日中寝ていました。寝ている事しかできませんでした。
というわけで9月にはいってから8月を振り返る項目となりました。

読んだもの

書き換えられた聖書 (ちくま学芸文庫)
聖書の改変を扱うものなのだからまあ当然なのだが聖書の知識がないと面白さが足りないなあと思った。ただこの本を読んでしまうとどの『聖書』を読めばよいのかがわからなくなってしまう。

虚航船団 (新潮文庫)
読んでて疲れてしまった。酩酊してメチャメチャになってから読むと読みやすかった気がするのだがまあ酩酊していたときの記憶なのでそうでもないのかもしれない。

キャッチ=22〔新版〕(上) (ハヤカワepi文庫 ヘ)
キャッチ=22〔新版〕(下) (ハヤカワepi文庫 ヘ)
小説版モンティパイソンという感じがした。壊滅していた時系列が後半には正常に戻っていたことに解説を読むまで気付けなかった程度の読解しかできていなかったという事を付記しておく。

見たもの

ゼロ・ダーク・サーティ (字幕版)
プロパガンダとのことだがこの映画が何を宣伝してるのかがよくわからなかった。

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)
ウォーターゲート事件のほうが観たかった……。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(字幕版)
一度構築された世界観は滅んだとしても消えるわけではない。

ビューティフル・マインド (字幕版)
数学の天才という描写がどこでも構わず数式を書き散らかすみたいなのはどこも変わらんのだなと思った。

ブラッド・ダイヤモンド (字幕版)
暴力が通貨になってる世界は怖い。暴力が日常になってしまったこどもも怖い。暴力に蓋をするとカネになる。