先日、いろいろな事情により EBS backed な EC2 インスタンスのルートボリュームを他の EC2 インスタンスにアタッチしてマウントし、EC2 インスタンスから chroot して中身をいじくるという作業をやった。
色々な事情によりお釈迦になってしまったものの、そのまま失なわれてしまうとマズいインスタンスであったため、復旧作業を行うための措置だった。
2019年にもなって、しかも AWS 上のサーバでこういう泥臭い作業をやる破目になるとは思ってもみなかった。
作業は面倒臭い内容だったが、終えてみての感想としては結構楽しかった。久しくやっていなかった Arch Linux のインストール作業を思い出した為だ。
ほんの数年前までは中古の ThinkPad を買ったり Arch そのものがいろいろあって吹っ飛んだりという事がままあったので、その度に Arch のインストールを飽きずに何度もやったものだった。
いつ Arch のインストールが必要な状態になっても良いようにインストール用 ISO を焼いた USB メモリを常時携帯していた時期もあった。
今では中古の ThinkPad をつい買ってしまうこともなく、Arch もなかなか堅牢になったようで吹っ飛ばなくなったこともあり、インストールする機会も減ってしまった。
最近 Arch をインストールする機会があったのはX201s ジャンクを動態保存することにした時と GPD Pocket に Arch
を入れた時くらいだと思う。
インストール用 ISO の出動を願った時でいえば結構最近 GPD Pocket で pacmatic -Syu
した時に mkinitcpio -P
がコケたのに気付かず OS 再起動を掛けてしまい、sd-encrypt が LVM on LUKS なルートディスクを起動処理の中で復号できずに起動に失敗するという状態に陥ったのを解決するときに使ったときがあった。
これについては arch-chroot
して mkinitcpio -P
しただけなのでインストール作業とは程遠い。
月日は流れて Arch
のインストールばかりやたらと行っていた時期も単なる思い出となってゆく今、ふとした瞬間にこういう思い出が現在の作業と結び付き、作業の内容を越えてとても懐しく思ったのだった。
Arch のインストール自体は面倒臭いし今思うとなんであんな飽きずにインストールばかり繰り返していたのかよくわからないが、それでもそういう時期があったという思い出をたまに振り返ってみるとなかなかよい気持ちになる。