``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだやつ (2018-02)

ちょっと早いが今月はもうこれ以上増えないので。

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)
彼は見えすぎる目を持っていた。少なくとも彼自身はそう思っていた。
彼は見えすぎる目に頼りきり、見えすぎる目以外は信用しなかった。
見えすぎる目が嘘だとわかった彼は偽物の目を拒絶し、ついに自分も拒絶した。
あとには牧歌的な無がのこされただけだった。

恐るべき子供たち (岩波文庫)
ちょっとよくわからなかった。
恐ろしい子供たちがどうこうではなく、子供たちそのものが恐ろしいのか。

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)
地獄の黙示録』がなんかまともにみえる。あっちは長大だけどこっちはコンパクト。

膚の下(上)
膚の下 (下)
これ買ってから三部作の最後を飾る物語と知ってやってしまった感があったのだが、読み始めたらそんなことどうでもよくなった。
設問に対する真摯な回答を生成するまでの記録。
鉤坂大尉すき。

OSC 2018 Tokyo/Spring へ行った

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OSC へ行った。
展示ブースが建物の低層階と中層階に分断されていて移動に困窮した。
現地への到着が遅すぎた感があり(2日目の14時ごろ)、到着したころにはボチボチと撤収の雰囲気がでていた。
とても、とても個人的な印象なのだが、OSS 系のブースよりも企業ブースのほうが勢いを増している感じがする。とはいっても OSC のブースはどこもとてもダウナーな感じなので、勢いが云々といっても圧倒されるようなものはない。
落ち着いていてよい。和む。

読んだり観たりしたやつ (2018-01)

読んだやつ

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)
失なってからはじめて貴重さに気がつく。貴重であっても大切というものではない。あと破滅。

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)
純粋さという主張で覆い隠された盲目。あまりに観念的すぎて空中に浮いている。

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)
破滅を眺めていたひとが破滅に足を踏み入れようとしてみた、が、やめた。神々しい汚辱。

観たやつ

タイタニック (字幕版)
グッゲンハイムさんになりたい。

読んだり観たりしたやつ (2017-12)

まだ12月終わってないけどもうこれ以上増えないので。
生存と生活に追われてなにも摂取できなかった。

読んだやつ

スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
ドグラ・マグラ』っぽいなあと思ったがオチが作中で明示されてるだけでとくに共通点はなかった。
不条理でも諦観でも絶望でもなくてこれはなんというのだろう。悟りのようだがそこまで高尚なものでもないような気がする。

観たやつ

野火
芸術映画っぽい。惨憺たる光景が鮮かに描かれているのは大変よかった。
人肉食が比較的あっさり描かれているのはこれで良いのかしら。飢餓で恐慌状態に陥った際の描写の凄まじさに比べて物足りない。

読んだり観たりしたやつ (2017-11)

まだ11月終わってないけどこれ以上増えないので。

読んだやつ

人間の条件 (ちくま学芸文庫)
いっかい読んだだけではよくわからない。読んでるときはわかった気になったけどよくある幻想だ。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書
面白かった。文化の側面からオンラインでのコミュニケーションを評価していく本。
恥ずかしながらパソコン通信時代のネットワークの在り方をこの本を読むことで初めて知った。

僕たちのインターネット史
これもよかった。インターネット文化の批評。評価から受容、受容から浸透、浸透から変容へ。
ちなみにわたしはどちらかというとインターネットを現実と対になる空間と思いたがるタチなので、インターネットは単なるコミュニケーションの道具であり現実とウェブとは区別されないという立場をみるとさみしい気持ちになる。

革命について (ちくま学芸文庫)
これも白状すると読んでるときはわかった気になるが読み終えるとよくわからんとなる本で、一回読んだだけではなんもいえない。
アレントの著述の感想ではまったくないのだが終わりのほうに引用されている詞がよかった:

この世に生まれないことが
すべてにましてよいことだ、
生まれてきたからには次善のことは
生まれたもとのところにすみやかに戻ることだ
(ハンナ・アレント著、清水速雄訳『革命について』第十四刷中443頁より)

観たやつ

アウトレイジ [DVD]
何回か観たけど円盤を買ったので。人間関係はややこしいですね。

アウトレイジ ビヨンド [DVD]
これも何回か観たけど円盤を買ったので。かっこいい恫喝は素敵ですね。

映画「アウトレイジ 最終章」オリジナル・サウンドトラック
観たものそれ自体ではないが代理として。映画館へ観に行った。『ソナチネ』と比較されているレビューが結構眼についたが『ソナチネ』よりもメリハリがあり、激しすぎ、それゆえに『ソナチネ』よりも色が濃くなってしまった感がある。『ソナチネ』的な無常観や虚無性はなかった。
人間関係はやっぱりややこしいですね。

千年女優 [Blu-ray]
好き。未来永劫手段が目的になり目的を愛する。

読んだり観たりしたやつ (2017-10)

読んだやつ

邪宗門 下 (河出文庫)
破滅するために破滅に進んで破滅してすべて破滅させるという快挙。ここまでやってくれると読んでて嬉しい。

かもめのジョナサン: 【完成版】 (新潮文庫)
ところどころで挿入される写真はどうすればいいのだろう。なんか本文に没入できなかった。

観たやつ

ジャンヌ・ダルク(字幕版)
佐々木大尉性がある。佐々木大尉性のある人物を主役に持っていくと観てるほうが疲弊することがわかった。脇役がちょうどいいのだろう。

日記を書く体力

毎日寝る前に B5 版のルーズリーフに3~4行くらいで日記を書くというのを習慣にしていたのだけど、ここ1ヶ月くらいその習慣をやめてしまっている。毎日机には向かっているものの、ルーズリーフを取り出す気力もペンを握る気力もいまはないためだ。キーボードを叩くくらいの気力はあるので(もっともそれも徐々に失われつつある。タッチパネルを撫でることしかできなくなってきた)、「書く」のではなく「叩く」のであればなにか書けるかもしれないとおもい、書いてみることにする。
日記を書かなくなったのは単純で、日記に書くようなことがないためだ。きょうの晩飯の内容も思い出せない人間が1日を振り返ることは困難である。日記に書くようなことがないと言うよりは、日記に書くようなことがあったかどうかを思い出せないというのが正しいかもしれない。印象深いことも楽しいこともつらいことも悲しいこともみんな忘れていってしまう。忘れないために日記を書くのだという向きには、まず日記に落とし込むまでに記憶を吹き飛ばさないようにする必要があり、それが達成できないので日記を書けんのだと反論できる。ちかごろは本当に10分くらい前に考えていたことも思い出せなくなっている。画面越しに日々を過ごしているみたいで、生活に実感がぜんぜんない。
ただ、日記を書くまでは忘れていたことでも、いざ日記を書くためにペンを握ってルーズリーフを取り出せば思い出すこともある。実際日記を書いていたころはそういうこともあった。日常生活の全てやあるいは過去に考えていたことを常にすぐに取り出せるようにするのはどだい無理な話で、普段は全部忘れて必要なときに思い出すというほうが疲れない。忘れまいと憶え続けることは大変な苦労と苦痛をともなう。日記を書けない理由に書くことを思い出せないことを挙げるのは多分間違いではないが正解でもなくて、日記を書く気力がないというのが正しいのだろう。ペンを持つ気力もルーズリーフを広げる気力もないと冒頭に書いたが、そもそも日記を書こうという気持ちがなくなってしまっているのだとおもう。
日記を書かなくなったが過去の日記を読み返すことはある。大抵はしょうもないことが書かれているのだが、たまに面白いことが書かれていたりしてよくこんなこと思いついたなと過去の自分に感心することもある。日記を書けていた頃はそういえば未来の自分を楽しませるために日記を書いていたというフシがあったような気がする。そういう意味ではいまは未来の自分を楽しませる気持ちがなくなっているのだろうか。
日記を書きたくないというわけではない。できることなら書きたい。何をするにも体力が必要で、いきるためにも体力は必要である。日記をかく体力が、いまはなくなってしまった。