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``一意な文字列''

雑多な事柄

私の望む叙述はこの中にはない

 ある対象に関する叙述として可能な表現を、人間の想像力はどの程度カバーできるのだろうか。

 古びた池に蛙が飛び込んだという事に対して、そのまま「池に蛙が飛び込んだ」と済ましてしまうこともできるし、ここで引用するまでも無いくらいに有名な俳句のように芸術に昇華させることも出来る。俳句以外にも、絵画、彫刻、音楽、はたまた文章として表現も可能であるし、その表現方法は多岐に渡る。表現に何らかの指標に従って優劣をつけるとしても、例の俳句より劣る表現も、優る表現もあるだろう。で、そういった表現達は「古びた池に蛙が飛び込んだ」という対象に関する叙述として可能な表現をカバーできているのだろうか。

 ひとりの人間の想像力には限りがある。あるひとりの人間の想像力より優れた想像力を持つ人間は当然存在するだろう。これを認めると、最高究極完全に優れた想像力を持つ人間の存在は仮定できないし、想像力の限界は無限の彼方にぶっ飛んでいくように感じる。複数の人間による想像力にも同じことが言えるし、複数の人間による想像力よりも優れた想像力を持つ個人もいるだろうし、想像力には上限が無いように思える。

 だが、人間(個人複数は問わない)の持つ想像力を超えた叙述だって当然存在するだろう。それは人間には叙述不可能な叙述であるが、当然叙述である。人間には知覚不可能な叙述でもそれは叙述であり、またそれは考察下の表現である。

 

 結論はない。

 現在「Self-Reference ENGINE」を読んでいて、上もこれを読んでいて思ったことだ。考えている事をなるべくそのまま書きだそうとすると大体結論が存在しないんだけれど、主張でも論文でも無いわけだし、まあいいやという感じになる。