``一意な文字列''

雑多な事柄

私は論理を追うのが苦手なんだ(102回目)

 すべての嗜好品はコミュニケーションの媒介である。しからばすべての趣味がコミュニケーションの媒介であるか?ここで簡単の為にコミュニケーションは1対1、即ち当事者C1、C2に対して直積(C1,C2)の形で表現できるとする。

 前半の命題は、任意の嗜好品L(-,-)に対しある当事者C1、C2が存在し、L(C1,C2)が真である、という事を意味している。この命題に対し、任意の趣味H(-,-)に対してもある当事者C1、C2が存在し、H(C1,C2)が真であるか、という疑問を投げかけているのが後半の命題である。ここでL(-,-)およびH(-,-)は変数を2個とる述語として扱っている。これは明らかに嗜好品L(-,-)を元とする集合LUXと趣味H(-,-)を元とする集合HOBとの間に成立する関係がLUX⊇HOBであれば真となる。

 さて問題は嗜好品および趣味の定義だ。手持ちの電子辞書(XD-B9800)に収録されているデジタル大辞泉によれば、嗜好品及び趣味は以下のように書かれている。

しこう-ひん【×嗜好品】シカウ-

栄養をとるためでなく、その人の好みによって味わい楽しむ飲食物。茶・コーヒー・タバコ・酒など。

 しゅ-み【趣味】

1.(注:引用元では四角に囲われた数字) 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」

(注:2. 以降略)

 嗜好品と趣味が全く異なるのだ。し、しかし、「個人が楽しみとしている事柄」ならば嗜好品を楽しむのは趣味ではないか。コミュニケーションの媒介としての嗜好品は嗜好品を楽しむという前提に置かれるものだ。だがこの解釈は論理的に導出されたものではない。解釈の揺れを論拠に採用すれば論述に揺れが出るのは避けられない。どうすればいいんだ。ううむ。ううむ……。

 などと妄想しながら刺身をつまみ日本酒を飲んでいた。刺身も日本酒もおいしかった。