``一意な文字列''

雑多な事柄

読んだり観たりしたもの (2016-03)

読んだやつ

田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他 (角川文庫)


觀たやつ

ジャガーノート [DVD]
交渉人 真下正義」を観て以来一度観たいと思っていたもの。
技術者同士の戦いを描いていた。主人公の刹那的な感覚が好き。

π [DVD]
マシンの基板にまとわりついていた粘菌みたいなやつ結局なんだったのだろう。
蟻がワラワラしているのもよくわからん。

ジェネレーション・ウォーDVD-BOX
最悪で良質な映画。観てて辛かった。
なにも知らなかった若者達が現実を学んでいき、いろいろな事を知ってしまい、「成長」していく物語。
学びの機会がこのばあい戦争であったわけで、現実が厳しすぎた結果若者達は

  • 射殺
  • 戦死(自殺だと思う)
  • 強姦
  • 迫害
  • 懲罰

されたりする。
生き残った若者達が廃墟のバーでホコリまみれのグラスにウイスキーを注ぎ乾杯する光景はまさしく破滅以外の何者でもなかった。

読んだやつ (2016-02)

2月終わっていないけどこれ以上増えないので書く。

居酒屋の戦後史 (祥伝社新書)
いい本。酒という極めて通俗的な魔物を通して戦後を紐解いている。酒は生活のバロメータなのだ。

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
あとがきにもあるけど汚物の質感が文字を眺めるだけなのに伝わってくるのすごい。

リスを実装する (Kindle Single)
いつものようなよくわからないけどおもしろいみたいな感じではなく、新鮮だった。

みずは無間 (ハヤカワ文庫JA)
グッチャグッチャしてた印象しかない。

総員玉砕せよ! (講談社文庫)
わたしはなんでこのような つらいまんがをみにゃならぬ これもぜひなき よくのため

Effective Python ―Pythonプログラムを改良する59項目
virtualenv は python3 だとわざわざインストールしなくてもよくなったということを知った。

読んだり観たりしたやつ (2016-01)

読んだやつ

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)
まあよくわからんかった。わからんかったのでどんな内容だったか覚えてない。

沈黙 (新潮文庫)
重く、そして、エモかった。

ハイパフォーマンスPython
重要な事をいろいろ学んだ気がする。とりあえずリストをつかわなくてもいいところでリストを使うのは避けるようになった。

見たやつ

ブルークリスマス [DVD]
ラブストーリーの部分ないほうが不気味な感じを高めて良かったのではと思う。
ラストの青い血の人々を粛々と殺害していくシーンが無機質で本当に良かった。

イージー★ライダー コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]
通りすがりの浮浪者をショットガンで射殺するのが笑い話になるの恐ろしい。

読んだり観たりしたもの (2015-12)

読んだやつ

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)
合わなかった。下巻もいま読んでいるがやっぱり合っていない。

観たやつ

キル・ビル Vol.2 [DVD]
格好良さを期待していたけど Vol.1 のほうが格好良かった。
愛を描いたなどといわれているようだが愛ってこんな淡々としているものなのか。

スティーブ・ジョブズ  [DVD]
微妙。ヒッピー文化の退廃っぽさもないし Apple II 登場までの積み上げも大変薄かった。
雰囲気でなんとかやってった作品という感じがする。

飲酒と喫煙について

飲酒

飲酒はしないほうがよい。
飲酒の理由として定期的に鬱憤を晴らす必要があるというのなら、鬱憤が溜まるような環境に身を置くのが間違っている。

喫煙

喫煙はしないほうがよい。
喫煙の理由として定期的に鬱憤を晴らす必要があるというのなら、鬱憤が溜まるような環境に身を置くのが間違っている。

結論

飲酒も喫煙はしないほうがよい。
飲酒や喫煙の理由として定期的に鬱憤を晴らす必要があるというのなら、鬱憤が溜まるような環境に身を置くのが間違っている。

読んだり観たりしたやつ (2015-11)

読んだやつ

菜穂子―他五編  (岩波文庫)
風立ちぬ・美しい村 (岩波文庫 緑 89-1)
肺病に冒され高原病院に入院する人とそれを見舞う人のお話。というような感じ。他にもいろいろあるけどこういうやつの印象が強い。
俺はどうすればいいんだ、という気分になった。お前はどうもしようがない。
死とか滅亡とか崩壊は具体的に描かれるに限る、と思った。

プログラマのための文字コード技術入門 (WEB+DB PRESS plus) (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
適当に読んで適当な知識を得た。

観たやつ

リンクとかいろいろ張りたいので作品名を明示的に書いて見やすくする。

ハーモニー

project-itoh.com

以下のような感じ:nosada.hatenablog.jp





キル・ビル Vol. 1

キル・ビル Vol.1 [DVD]
なにもかもかっこいい。なんでこうあらゆるものをこうかっこよく描けるんだろう。

劇場版『ハーモニー』について

好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。
坂口安吾『夜長姫と耳男』より)

2週間ほど前に劇場版『ハーモニー』を観た。
残念なことに原作のいいところをへし折り、どうでもいいところを研ぎ澄ましてしまった物語になっていて、映画館を出た後居酒屋に直行してビールをがぶがぶ飲むはめになった。
原作に準拠してなきゃならんというわけではない。そもそも原作を忠実に映像化すると伊藤計劃先生お得意のパロディやウンチクがテンポを乱してしまうだろうし。
原作の『ハーモニー』は、まず物語があり、そして人間が形作られている。
劇場版『ハーモニー』は、まず人間を形作ってから物語を人間にあわせて調整してしまったため、ビールで希釈しないとつらい気持ちになる物語になってしまった。
いまでも劇場版『ハーモニー』のことを考えるとビールをガブガブ飲みたくなってしまうので、ここで文字に起こすことでビールの消費量を減らすことにする。

主人公の3人について

原作『ハーモニー』は、キアンさん、トァンさん、ミァハさんの立ち位置は同等である。
トァンさんは当初(学生時代から空港で出迎えられるまで)キアンさんをミァハさんの「腰巾着」とみなし、一番度胸のない女の子と評し、見下していた節がある。
しかしキアンさんは死と崩壊に走ろうとするミァハさんの話を聞き理解を示すことで、ミァハさんを滅亡から救おうとしていた。本人いわく「バランサー」である。
死と滅亡へ突っ走るミァハさんとそれに引っ張られつつ走っていくトァンさんを前に、キアンさんはたったひとり、死へも滅亡へも踏み出さなかった。
キアンさんの真意を知ったトァンさんは、もうキアンさんを「一番度胸のない女の子」とは見なさなくなった。

しかし、3人のなかで一番先に死へ到達したのはキアンさんだった。ご存知「えう」だ。

それからいろいろあってトァンさんはミァハさんと再会する。
トァンさんにとってミァハさんは自分が変わるきっかけを与えてくれた人間だ。キアンさんが必死に止めようとした死と滅亡という、彼女たちにしてみれば救いに見えたところへ向かう道を切り開いてくれた人間である。
しかしトァンさんはもう少女の頃とは違っていた。ミァハさんも少女の頃とは変わっていたが、根本的なところはなにも変わっていなかった。
変わってしまったトァンさんとキアンさん、変わらなかったミァハさん。
キアンさんは死に、トァンさんはミァハさんを射殺した。トァンさんは変わらなかったミァハさんを殺すことで、変わらなかったものと決別したのだ。

一方、劇場版『ハーモニー』では、トァンさんとミァハさんにのみフォーカスがあたり、キアンさんは蚊帳の外になっている。
「バランサー」云々のキアンさんの吐露はトァンさんには特になにも影響を及ぼさなかったようだ。
首をテーブルナイフで切り裂いて地面に突っ伏した(そういえばカプレーゼに顔を突っ込んでなかった)あともトァンさんは別段キアンさんを気に留めていなかった印象がある。
トァンさんはミァハさんの事をずっと追い掛け追い求めていた。劇場版『ハーモニー』のミァハさんは少女時代から螺旋監察官になるまで、変化をしていないのだ。
死と滅亡へ突っ走るミァハさんをトァンさんはずっと追い求めていたのだ。これではバランサーをキアンさんが気取ってもどうにもならない。
いろいろあって、変わらなかったトァンさんはミァハさんについにたどり着く。
そこには以前と変わらず天真爛漫のミァハさんがいた。トァンさんがずっと追い求めていたミァハさんがいたのだ。
劇場版『ハーモニー』でも原作の『ハーモニー』でも、ミァハさんは特に相違点はないと思う。バンカーの中で出会ったミァハは少女の頃とは変わっていたが、根本的なところでは何も変わっていなかった。
しかし、少女の頃から何も変わっていないトァンさんは、少女の頃からは変わってしまったトァンさんが許せなかった。トァンさんが追い求めていたのは少女時代のミァハさんだったのだ。
追い求めていた、憧れていた、愛していたミァハさんが変わってしまう。狂おしい。許せない。耐えられない。
こうしてトァンさんは「そのままでいて」と叫び、ミァハさんを射殺するのだ。

劇場版『ハーモニー』が私にとって飲酒量を増やす原因は、戦場を酒場や喫煙所代わりにする生活を経ても、かつての友人を目の前で縊り殺されても、少女時代から変わらなかった霧慧トァンさんだ。
しかしこれは原因のひとつにすぎない。

「ハーモニー」について

もはや個々人による選択や葛藤がなくても十分に人間が生存していける環境にいるのに、なぜまだ選択や葛藤を自分の意志でしなくてはならないのか。
選択や葛藤をしなくてよいのなら、それを発生させる「自分の意識」はもはや不要ではないか。
恍惚だった、とミァハさんが評する、人間の意識が消滅した世界というのは、自分の意志によって選択を行うことで葛藤を起こすという苦しみから人間を解放させる、調和の取れた楽園のことだ。
ミァハさんはかつて繰り返される陵辱という地獄の中にその身をブチ込まれていた。その地獄の中で、ミァハさんは後天的に獲得した自分の意志で「自殺」を選択するに至った。
その後地獄から救出されたミァハさんは平和な世界にやってくる。しかしそこは健全で健康的で調和の取れた世界であると主張する、あらたな地獄であった。
ミァハさんは再び自殺を選択し、取り巻きとともに死へ突撃していった。しかしすんでのところで邪魔をされ、その結果「ハーモニー」を、陵辱地獄で失ったかつて自分が過ごしていた現世界をふたたび得るに至ったのだ。ミァハさんはそこで個人的な自殺を選択するのではなく、他者への完全な調和を選択するというように変わったのだ。

原作でも劇場版でも、題名である「ハーモニー」が指す内容はだいたいこんな感じで変わらないと思う。

しかし、劇場版『ハーモニー』は、その題名に冠する「ハーモニー」をないがしろに扱い過ぎている。
人間に着目しすぎたあまり、「ハーモニー」で人間がどうなったかという、『ハーモニー』という物語でもっとも重要な部分が根本から抜け落ちてしまっている。
零下堂キアンさん、霧慧トァンさん、御冷ミァハさんといった人間達は、物語そのものを操る役割を演じるには力不足なのだ。
『ハーモニー』という物語は、「ハーモニー」という、選択や葛藤のいらない調和のとれた世界が降ってきたら人間はどうなるか、という仮定を実験する道具であるに過ぎなかったのだ。
世界の登場人物に世界は動かせない。たとえそれが御冷ミァハさんという高密度の絶望を内に秘めた陰惨な少女であっても。
彼女達は皆仮想世界で実験を行う上で操作が可能なパラメータに過ぎないのだ。少なくとも原作『ハーモニー』ではそうだった。
劇場版『ハーモニー』では、そのパラメータを描き出すことに注力をしすぎた。もしかするとパラメータを描き出すことで新たな物語がひらき、思考実験の場であった『ハーモニー』を打ち破ることが出来たかもしれない。
しかし、劇場版『ハーモニー』はそこまで力が及ぶことはなかった。零下堂キアンさん、霧慧トァンさん、御冷ミァハさんをいくら振り回しても、新たな物語を開拓することはついに出来なかったのだ。

まとめ

『ハーモニー』という物語は文書という媒体で頒布されるときにもっとも魅力的になると思う。たとえ原作を忠実に映像化しても小説のような魅力を引き出すことは出来ないだろう。向きと不向きがあるのだ。『ハーモニー』という物語は孤独を噛み締めながら摂取されるべき物語だ。
それなのに "Project Itoh" などと評して伊藤計劃先生をやたらと持ち上げ盛り上げ神格化するのは害悪でしかない。
伊藤計劃先生にはぜひご病気から健康を回復され、よい物語を紡いでいって欲しかった。その先生が惜しくも夭折された事が残念でならず、また「屍者」をいたずらに神輿に括りつけて街路を練り歩くという行為には憤怒のみを抱くものである。

2015-12-02 追記

あらためて小説版『ハーモニー』を読みなおしている。
本記事では

『ハーモニー』という物語は、「ハーモニー」という、選択や葛藤のいらない調和のとれた世界が降ってきたら人間はどうなるか、という仮定を実験する道具であるに過ぎなかったのだ。

と書いたけど、本当のところは

  1. 平和の極限、すなわち誰も不幸にならず、誰も不快にならない世界が実現したらどうなるか
  2. これが実現したら地獄っぽくなるだろうし、じゃあどうすればいいのか
  3. 上に対する回答として、選択や葛藤のいらない調和のとれた世界が降ってきたらどうだろうか

というようなところをやってみた、くらいが妥当なんだろう。『ハーモニー』は実験道具で、3人の主人公たちはパラメータだ、という主張自体は変わらないが。